セルゲイ・エイゼンシュテインといえば、映画監督ですね。
モンタージュ理論を確立させたりと最大の功績を残し、映画史を語る上では絶対に外せない人物です。
今回、セルゲイ・エイゼンシュテインのかんたんな経歴、どんな偉業がある?について、紹介していきますよ。
セルゲイ・エイゼンシュテイン、プロフィール
セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン
出身地:ロシア帝国
生年月日:1898年1月10日
没年月日:1948年2月11日
享年:50歳映画監督
かんたんな経歴、何した人どんな人?
セルゲイは、ロシア帝国の支配下だった都市に生まれました。
父が建築家だった影響もあり、彼も専門学校の建築科で勉強します。
20歳になると、当時のロシアの軍隊「赤軍」に入隊します。
そしてアマチュア演劇に関わり、なんとなく後に映画監督になりそうな経歴になります。
そこの教育機関で日本語を教わります。
この日本語こそが、後に「モンタージュ理論」を確立させるきっかけになったのです。(後述)
その後22歳でモスクワ(ロシアの都市)に移住。
ある劇場の美術担当として活躍します。
翌年、有名な演出家・フセヴォロド・メイエルホリドの元で演劇を学びます。
このころメイエルホリドの助手をしながら、映画について勉強し始めます。
26歳、ついに映画を撮影します。
初作品の「ストライキ」を制作し、翌年には代表作となった「戦艦ポチョムキン」を制作しています。
この「戦艦ポチョムキン」こそがモンタージュ理論を使った作品です。
その後も数々の作品を発表。
人々に感動を与え続けました。
50歳、モスクワで心臓発作で亡くなりました。
偉業は?
セルゲイの偉業といえば、素晴らしい映画監督だったことです。
さらに彼は「モンタージュ理論」を確立させました。
「モンタージュ理論」は、映画製作理論のひとつの到達点といわれ、今ではよく使われています。
どういうものかというと、めっちゃ簡単に紹介すると、「1つの画と1つの画を組み合わせて、第3の意味を表現する」というもの。
例えば面白い動画があります。
この動画では、最初に「無表情な男」のあとに「スープ」が映されます。
そうすると、見ている人は「この男は腹が減っているんだな」と思います。
次に「少女の死体」のあとに「無表情な男」が映されます。
そうすると、見ている人は「この男は悲しんでいるんだな」と思います。
次の「美人な女」のあとに「無表情な男」が映されれば、
「この男は美女に話しかけようとしているのかな」と考えます。
といった感じです。
いっかい動画を見てみれば、「ああなるほどね」と思ってもらえるはずです。
「モンタージュ理論」確立には、彼がたまたま勉強していた日本語の漢字にヒントがありました。
漢字は例えば「口」と「鳥」で「鳴」となったり、「重」と「力」で「動」になったり、2つを組み合わせると意味が違った字ができあがります。
そのことにめっちゃ興味をもったのがきっかけだといいます。
漢字のつくりは私たち日本人も感心してしまいますよね。
まとめ
ということで、
セルゲイ・エイゼンシュテインってどんな人?3分で知る偉人!でした。
・素晴らしい映画監督だった!
・モンタージュ理論を確立させた、映画史にとって最高の偉人だった!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^