斎藤利三とはどんな人物?光秀の重臣として信頼されて活躍した武将の生涯に迫る

〜「斎藤利三」光秀の重臣として信頼されて活躍した武将の生涯に迫る〜

斎藤利三(さいとうとしみつ)といえば、明智光秀の家臣ではトップクラスの知名度を誇るでしょう。

華々しい逸話こそないものの、光秀が全幅の信頼を置いた家臣の一人として考えられています。

また、利三の娘である春日局が江戸時代に実権を掌握したため、彼女の父として利三をご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。

斎藤利三の肖像

出自や前半生はほとんどが謎に包まれている

利三は、その出自や前半生がよくわかっていない武将の一人です。

彼は天文3~7年(1534年~1538年)ごろに生まれたと推測されていますが、その生年も詳しいところは不明です。

父は美濃斎藤氏の斎藤利賢で、母は蜷川氏という室町幕臣家の人物であるとされていますが、これも諸説があり確定はできません。

 

利三は通称として「内蔵助」という名を名乗ったため、ここから彼のことを斎藤内蔵助と表記することもあります。

彼の若かりし頃の活動はほとんどが謎に包まれていますが、一般的には美濃斎藤氏の配下として斎藤道三からつづく斎藤三代に仕えていたようです。

ただ、後に織田家へと鞍替えした際の経緯から斎藤家直参の武将ではなく、同家で「西美濃三人衆」として権力を握った稲葉一鉄に仕えていたと考えられています。

 

一鉄の配下として斎藤氏の勢力拡大に貢献する一方で、斎藤家の三代・龍興と一鉄ら有力家臣団らの関係性はしだいに悪化していきました。

こうした情勢の中で、一鉄とともに西美濃三人衆として名を挙げていた安藤守就という人物がクーデターを起こします。

このクーデターそのものは矛を収め和解となったのですが、一鉄ら有力家臣は斎藤家を見限り、敵対関係にあった織田信長へと接近していきました。

こうして内応の準備を整えた美濃の家臣らは、永禄10年(1567年)に龍興が稲葉山城の戦いに敗れると斎藤家を離反。織田家臣として再出発を図ります。

そして、一鉄に仕えていた利三もまた主と同じく信長に仕えるようになりました。

 

光秀の家臣となってからは彼の信頼を獲得

一鉄が織田家臣となって以降はしばらく彼に付き従っていたようですが、元亀元年(1570年)のすぐ後には光秀の配下になったと考えられています。

この鞍替えに際しては光秀が利三をヘッドハンティングしたとも、光秀と利三が親戚関係にあったための措置だとも言われていますが、詳しいところはわかっていません。

ただ、光秀が利三を召し抱える過程での不手際から信長を激怒させた可能性が高く、穏便なものではなかったのかもしれません。

とはいえ、天正8年(1580年)ごろには信長と利三の関係性が改善されていることから、それほど重大な落ち度ではなかった可能性も。

 

紆余曲折あって光秀に仕えた利三は、新参の家臣ながらすぐに光秀の信頼を獲得したようです。

そして、かねてから光秀の筆頭部下であった明智秀満ら重臣と同様の待遇をされるようになり、光秀が平定した丹波国にあった黒井城と1万石の領地を与えられています。

また、史料にこそ記載がないものの光秀の参加した主要な戦にはほとんど付き従っていたと見られており、名実ともに光秀の家臣筆頭として彼の勢力拡大に大きく貢献していました。

 

本能寺の変に加担し、明智家と運命を共にする

しかし、天正8年(1580年)ごろに発生した織田家内の四国政策転換を境に、光秀の心には叛意が芽生えるようになったのかもしれません。

実際、長曾我部元親は親戚であった利三に対して信長への恭順を示しているにも関わらず、信長はあくまで四国を攻撃しようと考えていました。

 

この事態を受けてか、天正10年(1582年)には光秀が利三ら一部の家臣に対し、反乱の計画があることを漏らします。

明智秀満や利三らはこの計画に反対したと伝わっていますが、彼らの言葉は受け入れられず光秀は開戦を決意。

利三も最終的にはやむを得ず了承したのか、本能寺の変に際しては先鋒を務めています。

 

こうして信長を討ち取った光秀は、自身の天下を盤石にするべく外交活動に従事しました。

しかし、彼があてにしていた細川や筒井の協力を得られず、さらに羽柴秀吉中国大返しによって危機的な状況に陥ります。

光秀方はやむを得ず山崎に陣を張って秀吉を迎え撃ちますが、圧倒的な兵力差になすすべなく敗北。

先手を任されていた利三は戦場を離脱し、近江に潜伏して逃亡生活を送りました。

 

しかし、利三の潜伏先はあえなく補足され、彼は捕らえられたのちに洛中を引き回されて打ち首となってしまいました。

利三の死後、彼と光秀の遺体は見せしめとして粟田口に晒されたとも伝わっています。

結局最期は野ざらしという憂き目に遭ってしまった利三ですが、彼の娘である春日局は三代将軍の乳母として幕府で実権を掌握し、後の歴史に大きな影響を与えました。

 

【参考文献】
横山住雄『斎藤道三と義龍・龍興:戦国美濃の下克上』戎光祥出版、2015年。
木下聡「総論 美濃斎藤氏の系譜と動向」『論集 戦国大名と国衆16 美濃斎藤氏』岩田書院、2016年。
谷口克広『織田信長家臣人名事典』吉川弘文館、2010年。
谷口研語『明智光秀:浪人出身の外様大名の実像』洋泉社、2014年。

(筆者・とーじん)