フリーメイソンといえば、秘密の組織というイメージで様々な都市伝説をもっていますよね。
会員数600万人以上の「友愛結社」だとされていますが、やっぱり実態はいまだに謎につつまれています。
そんな現在でも、一目おかれるフリーメイソンと、我らが坂本龍馬は何か関係があった?との噂です。
ちょっと紹介していきますよ。
坂本龍馬とフリーメイソンは何か関係があった?
日本史を語る上では、最重要人物だとされている坂本龍馬。
そんな龍馬がフリーメイソンだったという都市伝説があるのですね。
結論からいうとこの噂、デタラメである可能性が高いです。
そもそもこの「坂本龍馬はフリーメイソン」の言われだした理由が、貿易商人のトーマス・グラバーとの繋がりです。
このトーマス・グラバーがフリーメイソンだから、坂本龍馬もフリーメイソンに加入した可能性がかなり高いって事ですね。
しかし、トーマス・グラバーがフリーメイソンであったという事実はないのです。
トーマス・グラバーがフリーメイソンだったとされている、証拠や資料もなければ当時からの言い伝えもないのです。
ではどうして、坂本龍馬がフリーメイソンだったと言われているのでしょうか。
その理由は、トーマス・グラバーの自宅前の石柱の存在なのです。
長崎にあったグラバー邸の前に「フリーメイソンの象徴」の定規とコンパスの絵が描かれた石柱があるのです。
それなら、彼はやっぱりフリーメイソンだったんじゃないの?と思えます。
がしかし、実はこの石柱。彼とはまったく関係がなくほんとうに偶然で、昭和41年に寄贈され移設されたものなのだそう。
あの絵が描かれた石柱が昭和41年に、たまたまそこに立っただけなのだそうです。
こうなれば、坂本龍馬のフリーメイソン説はいっきに遠ざかります。
坂本龍馬のフリーメイソン説は他に発端が?
また、もっと「坂本龍馬フリーメイソン説」を覆してみましょう。
噂の発端はやはりグラバー邸の石柱なのですが、説を助長させていた噂を紹介します。
フリーメイソン発祥の地、イギリスに渡航したから?
まず「龍馬イギリスに渡航したからフリーメイソン」説。
龍馬がフリーメイソン発祥の地、イギリスに渡航したから、その時に影響を受けフリーメイソンになったというもの。
イギリスに行く前と、帰った後で龍馬の言動や思想は明らかに違い、不可解だったと言われています。
しかしこれは、実際に龍馬がイギリスにいったという証拠はなにもないし、外国にいったという証拠もないです。
作り話である可能性が非常に高いのです。
確かに龍馬は、別の理由で不可解な行動をする理由があったのです。
それは暗殺から逃れるため。
結果的には暗殺されてしまいましたが、彼は暗殺されそうな事を知っていて、それから逃れるため身を隠していたりしていたのです。
その時の行動が一部よくわからないとされています。
英語が話せた?
実は当時のフリーメイソンに加入するには、英語力が必要不可欠だったとされています。
現在でこそ、加入に英語はまったく要らないですが、当時の加入の儀式などは全て英語で行われていたそうです。
龍馬に英語が話せたという証拠はありません。資料も言い伝えもありません。
英語も話せない龍馬がフリーメイソンになれたかどうか。
一般の人たちとは、考えが違う?
当時からある意味、欧米的で近代的で「ちょっと違う人」だった坂本龍馬。
そのふつーの日本人とは「ちょっと違う」感じ満載なこともフリーメイソン説を助長させています。
これも、そもそも時代を動かすような人、革命を起こすような人が、そこら辺のおっさんと同じ思考であるはずがないのですね。
凄い事をする人は「ちょっと違う」ことは絶対に必要なことなのです。
まとめ
坂本龍馬、フリーメイソン説を紹介してみました。
まとめてみると、龍馬がフリーメイソンだった可能性はとても低いのかなと思います。
元々がトーマス・グラバーの石柱のせいからで、あとはこじつけです。
トーマス・グラバーの石柱が移設されたものという事が判明したなら、この噂はもう信ぴょう性は激低なのではないでしょうか。
ということで、
驚き!坂本龍馬とフリーメイソンの関係?でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます^^