パウラ・モーダーゾーン=ベッカーといえば、ドイツの画家ですね。
絵の世界では「表現主義」のパイオニアとして有名です。
今回、パウラ・モーダーゾーン=ベッカーのかんたんな経歴、どんな偉業がある?について、紹介していきますよ。
パウラ・ベッカー、プロフィール
パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(Paula Modersohn-Becker)
出身地:ドイツ
生誕:1876年2月8日
死没:1907年11月21日
享年:31歳画家
かんたんな経歴、何した人どんな人?
パウラ・ベッカーは、ドイツのドレスデンという都市に生まれました。
父は鉄道会社に勤務していて、母は貴族の出身でした。
そのためパウラは比較的に裕福な環境で育ちました。
12歳ころ、家族でブレーメン(ドイツの都市)へ移住しました。
そして17歳から19歳まで、ブレーメンで絵の個人レッスンをうけます。
20歳になると、ベルリン芸術家協会の絵の学校で勉強します。
しばらくしてドイツの、とある芸術家村で、芸術家コミュニティを交流を持つようになりました。
そこで生涯の友となるクララ・ヴェストホフと出会い、また夫となるオットー・モーダーゾーンに出会いました。
やがてオットー・モーダーゾーンと結婚し、彼の連れ子のお母さんとなりました。
24歳から、パウラは家族を残しひとりでフランスのパリへ、絵の修業に何回も行くようになりました。
パリで有名な画家たち、ゴッホやゴーギャンたちの作品をみると、彼女にかなりの影響を与えました。
30歳になると、夫のいるドイツの村に戻りました。
しばらくして子どもも生まれました。
しかしパウラ・ベッカーは塞栓症で、31歳という若さで亡くなってしまいました。
偉業は?
パウラ・ベッカーの偉業といえば、画家であったことでしょう。
そして、「表現主義」のパイオニアであったということです。
「表現主義」とは芸術の系統で、絵の場合、絵に感情を反映させたということです。
彼女は、その「表現主義」をいち早く取り入れた画家なのです。
現在の「抽象画(抽象表現主義)」の原点とも言えます。
ちょっと彼女の有名な作品をいくつかみてみましょう。
自画像(1902年)
観葉植物と卵立てのある静物
白樺林で猫を抱く少女
独特な凄みがありますね。
まとめ
ということで、
パウラ・モーダーゾーン=ベッカーってどんな人?3分で知る偉人!でした。
・ドイツの画家だった!
・「表現主義」をいちはやく取り入れた!
最後まで読んでいただきありがとうございます^^