小山田信茂の生涯に迫る!彼は本当にただの「裏切り者」だったのか

小山田信茂(おやまだ のぶしげ)という人物について、恐らく最も知られているのは「裏切り者」という事実でしょう。

彼は武田家の家臣でしたが、家が滅びる直前に主君を裏切ったという汚名とともに語り継がれてしまいました。

 

しかし、彼の生涯を追っていくと、必ずしも中傷されているような「ただの裏切り者」でもないことが分かってきます。

そこで、この記事では信茂の生涯を追いつつ、裏切りの真相を見ていきましょう。

 

譜代の家臣として信玄に信頼される

信茂は、天文9年(1540年)に甲斐国で国衆として力を有していた小山田家の次男として生まれました。

父の死後は彼の兄が家督を継いだのですが、永禄8年(1565年)に病死してしまい、次男ながら信茂が家督を継承しています。

 

小山田家は「信玄の家臣」と「国衆」という両方の側面を持っており、かつては武田家と対立したという歴史を有しているなど、平穏でない関係性の時代もありました。

しかし、この時期には武田家の譜代家老に列せられており、信茂は騎馬250騎を率いる優力家臣と位置付けられています。

 

彼は文武に長けた人物であったようで、軍政に優れていただけでなく教養人としての側面も持ち合わせていたようです。

そのため、信玄・勝頼の両君主に重用される存在へと成長していきます。

 

文武に優れた活躍を見せた

まず、軍政面では永禄12年(1569年)の小田原攻めで活躍し、その後信玄の上洛作戦に付き添う形で西方への遠征に同行しています。

特に、元亀3年(1572年)に徳川家康との間で勃発した三方ヶ原の戦いでは武田軍の先陣を務めるなど、つわもの揃いの武田家においても戦ぶりの評価が高かったようです。

その他、伝説のレベルではありますがあの川中島でも先陣を切って活躍した逸話が残されているなど、信玄時代の信茂はかなりの戦上手であった様子がうかがえます。

 

また、先にも述べたように文化人としての活躍も見せており、信茂は優れた漢詩を用いて詩の交換を行っていたようです。

さらに、焼失した寺社の再建事業に積極的であったほか、富士参詣道の関銭を半値にすることで参拝者の増加に貢献しました。

 

このように文武にわたる活躍を見せていた信茂は、信玄の死後に没落していく武田家でも家を支えるべく奔走していました。

長篠の戦いにおいては敗れてしまうものの、勝頼の護衛という任務そのものは達成しています。

また、この際には戦場で果てなかったことを恥じていたともされ、武田家への忠義はゆるぎないものに思えます。

 

さらに、この後は急速に勢力を落としていく武田家において周辺諸国との和睦を通じてお家の存続を目指し奔走しました。

彼はかつて北条氏相手の取次を務めていた関係性から彼らとの関係改善を目指しましたが、家として上杉家に肩入れしたことにより北条氏との関係性を悪化させてしまいます。

そのため、信茂領内に北条氏の勢力が侵入しはじめ、勝頼に救援を申し入れるほど彼の立場は悪化していきました。

 

武田家と自身の共倒れを確信して武田を離反したが…

信茂自身も危機的状況に置かれる中で、武田家全体も織田軍の脅威にさらされるようになっていました。

信茂はしばらく勝頼に従っていましたが、武田軍の敗色が濃厚となり信茂領で籠城戦を行うという決定が出されたことで領内の崩壊を確信。

ここで信茂はついに勝頼を裏切るという決断を下しました。

 

こうして織田軍の織田信忠の元へと参じた信茂ですが、彼からは「不忠者」と糾弾され、最終的に血縁者もろとも根絶やしに処刑されるという最期を迎えてしまいました。

信忠の立場からすれば信茂はあまりに武田の中枢に近すぎましたし、軍事機密を得ようにもその前に武田家を打倒する勢いがありましたから、この措置もやむを得ないものかもしれません。

 

ただ、戦の過程を追っていくと、信茂が果たして本当にただの裏切り者であったのかは疑問です。

そもそも小山田家には「国衆的な性格」があり、彼にとっては武田に尽くすよりも領内を維持していくことが重要な役職でした。

 

そのため、統治者としては武田と共に滅びるよりは、織田家に下ってイチかバチかに賭けてみるというのも理解できない考え方ではありません。

結果としてその目論見が上手くいかなかったために滑稽な行動に見えてしまいますが、あくまで最後まで生存の道を探した信茂の考え方はむしろ現代的とさえいえるかもしれません。

 

しかし、江戸時代にを通じて流行した「忠義・忠節こそが武士道」という考え方において信茂の裏切りが受け入れられるはずもなく、彼は極悪非道の裏切り者として後世に語り継がれてしまったのです。

個人的には同情できる部分も多いと感じる彼の振舞いですが、皆さんはいかがでしょうか。

 

【参考文献】
丸島和洋『戦国代表武田氏の家臣団:信玄・勝頼を支えた家臣たち』教育評論社、2016年。
柴辻俊六編『新編武田信玄のすべて』新人物往来社、2008年。

(筆者・とーじん)