1905(明治38)年5月、日露戦争の雌雄を決する一大決戦・日本海海戦が行われました。
ロシアが有する世界最強の艦隊・バルチック艦隊を日本艦隊が破ったこの戦いは、世界を驚かせました。
この日本海海戦の作戦を立案したのは、智謀湧くがごとしと称された秋山真之(あきやまさねゆき)でした。

しかし、この戦いの勝利の要因の1つに、トルコとの友好関係があったことはあまり知られていません。
今日は、日本とトルコの友好の話をお伝えします。
エルトゥールル号
日本とトルコの友好関係は、このエルトゥールル号の遭難事故に遡ります。
1890(明治23)年9月、トルコから親善使節として来日していたトルコの軍艦・エルトゥールル号が、和歌山県串本沖で台風に襲われ、座礁・沈没しました。
この時、乗組員500人余りが亡くなりました。
しかし、危難にあったトルコ人のため串本の漁民たちは、命の危険も顧みず船を出し、乗組員の救助活動に当たり、69人を救助します。

そして、救助された乗組員をトルコに送り届けるため、日本はまだ国交がないトルコにむけて軍艦・比叡と金剛の2隻を出すことを決定します。
国交のない国にこのような措置をすることは異例です。
この措置の理由は、「はるばる地球を半周してきたトルコの親善に応えるためにも、生存者を母国に送り届けてやりたい」という明治天皇の意向がありました。
この時、乗組員を送り届ける任務にあたった一人が、秋山真之でした。
ダータネルス海峡を通過
比叡と金剛は、生存者を乗せて、トルコに向かいました。
しかし、当時、トルコの首都・コンスタンチノープル港に入るダータネルス海峡は、国際条約で軍艦はトルコ軍艦しか通れない海峡でした。
そのため、日本側は、エーゲ海の第三国の港で乗組員の受け渡しを行う予定だったのです。
しかし、現代と違い、トルコまでの航海は3か月もかかります。
この間、日本人とトルコ人の間に友情も芽生えます。
その両者が、トルコの地を踏めずに別れなければならないのです。
仕方がないとわかっていながらも、互いにやるせない思いが募ります。
その折、トルコ皇帝が、ある命令を下しました。
「海峡を開放し、日本軍艦を迎え入れよ」というものでした。
「日本軍艦は、命の危険も顧みず、我々の同朋を送り届けてくれた友人である。我々は遠路はるばるやってきた友人を玄関先で追い返すことはできない。たとえ、国際条約に反してでも、余は友人を歓迎したい」という皇帝の意向でした。
真之ら日本海軍の将兵は、1か月間、トルコで歓迎を受けました。
また、トルコ海軍の将兵とも親交を深めます。
――トルコは信用できる相手だ――
日本は、トルコとの関係を重視するようになっていきました。
日露戦争勃発
1904(明治37)年、南下政策を進めるロシアの脅威に対抗するため、日本はロシアとの戦争を決断し、日露戦争が開戦します。
世界中は、日本が負けると予想しますが、その下馬評を覆して、各地の戦いで日本が勝利をおさめます。
そこで、ロシア側は戦況を打開するため、切り札を投入しました。
世界最強と言われたバルチック艦隊です。
これは、日本側も計算していました。
むしろ、これ以上の最悪の事態を恐れていました。
それは、バルチック艦隊と並び称された黒海艦隊が合流し、日本に攻め寄せることでした。
こうなると、質量ともに日本を凌駕し、勝ち目はありません。
作戦を考える真之も、当然、それを恐れます。
その時、真之の脳裏にトルコの風景が浮かびました。
――そうだ、トルコに協力を依頼しよう――
真之は、駐オーストリア大使を通じて、トルコに協力を打診しました。
黒海艦隊動かず
真之は、トルコ軍に黒海艦隊の情報を寄せてくれることと黒海艦隊が動かないよう陽動することを依頼しました。
トルコ側もロシアに圧迫されていたので、そのロシアと戦う日本は同志・友人だと考えていました。
真之からの依頼を、トルコ軍は快諾しました。
そして、合流するには黒海艦隊が動かねばならない時期を迎えます。
この時、トルコからの情報を受けた駐オーストリア大使から電報が届きます。
「黒海艦隊、動かず」
トルコは監視と合わせて黒海周辺諸国の反ロシア勢力と組んで、ロシアにとって不穏な空気を醸成し、黒海艦隊を足止めしたのです。
こうして真之は万全の態勢を敷いてバルチック艦隊撃滅の作戦を立てることができ、日本海海戦を迎えることができました。

この日本海海戦で、真之の作戦通りが的中。
先端を切る前に艦隊を大旋回させるという当時の海戦の常識を覆す戦術・通称東郷ターン作戦でバルチック艦隊を撃滅。
日露戦争のおける日本の勝利を決定づけたのです。
日本とトルコの絆
以後も、日本とトルコの友好は続きます。
イランイラク戦争でイランに取り残された日本人約500人を救援する飛行機を出してくれたのは、トルコでした。
一方で、日本もトルコを助けます。
地震の多いトルコはたびたび大地震に見舞われ、大きな被害が出ます。
この時、日本は救援隊を派遣し、トルコを助けます。
一方で、トルコも東日本大震災の折に、救援隊を直ちに派遣して、長期に渡って救援をしてもらっています。
日本から遠く離れた地にあるトルコですが、エルトゥールル号の救援で紡いだ絆で、両国はお互いを助け合っています。
(筆者・黒武者 因幡)