深芳野の生涯に迫る!斎藤道三の妻にして謎多き美濃一の美女

戦国期の美濃については、その知名度と裏腹に謎が多いことで知られています。

理由は単純で、下克上を果たした美濃斎藤家が、織田信長によって滅ぼされてしまい史料が後世に伝わらなかったからです。

 

その斎藤氏関係でもトップクラスに謎の多い人物が、斎藤道三の妻である深芳野(みよしの)でしょう。

そこで、麒麟がくるの放送を前に、大河にも関わってくるであろう彼女の生涯と謎をご紹介しておきます。

 

実在はしていたらしいが、その出自や生涯は謎ばかり

彼女の生涯を語る前に、まずこの深芳野という女性が実在の人物であったかどうかを検証してみましょう。

こういった作業を行う理由としては、戦国時代の存在が不確かな人物の場合、完全に後世の創作によって生み出されていることもあるからです。

ただ、結論から言ってしまえば、どうやら深芳野は実在の人物といえそうです。

先に書いたように極めて信ぴょう性の高い史料というものはそもそも現存していないものの、複数の史料に彼女の名を見ることができます。

また、他に有力な史料によって証明された彼女に代わる女性がいないのも、実在説を後押ししているでしょう。

 

とはいえ、そもそも実在・非実在が議論の対象になることからも分かるように、深芳野の生涯は謎ばかりです。

彼女に限ったことではないですが、当時の社会は相当な男尊女卑の世界でした。

そのため、女性の生涯や事績については男性以上に後世に伝わりづらいという事実があります。

 

深芳野の出自は、今のところ稲葉氏の系譜にあるという見方が有力なようです。

彼女の父は稲葉通則という人物で、信長の家臣として著名な稲葉一鉄と同じであると考えられています。

つまり、彼女は稲葉一鉄の姉ないしは妹であるということになり、後に有力者として成長していく一鉄の近親者として重宝されたのかもしれません。

 

母もやはり一鉄と同じく国枝正助という人物の娘であると考えられており、稲葉氏の女性であると考えるほかなさそうです。

ところが、一応それなりに説明は可能な出自に対し、その生涯についてはほとんどが言い伝えレベルの曖昧な情報しか残されていません。

いかんせんそれしか手がかりがないため以下ではその内容に基づいて生涯を解説していきますが、事実かどうかを確認するすべは残されていません。

 

土岐頼芸の妻となった後、斎藤道三のもとへ嫁いだ

深芳野がいったいいつ頃生まれたのかは定かではありませんが、一鉄の生年やその後の嫁ぎ先を見るに1500年代の初頭に生まれたものと考えられます。

そして、これもまた推測ですが当時の慣習を踏まえるに10代のうちには結婚したと考えることができ、その夫は後に美濃国の守護になる土岐頼芸でした。

 

言い伝えによれば深芳野は世に並ぶものがいないというほどの美女であり、当時としては異例の約187㎝という超高身長を誇っていたようです。

現代でも180㎝超えの女性は相当に希少ですが、栄養状態から現代よりも平均身長が低かったと思われる当時の社会においてそのインパクトは絶大なものがあったでしょう。

とはいえ、いくら希少価値が高いとはいえども非現実的な数字ではなく、現状で彼女の高身長を否定する術はありません。

 

こうした美しさや物珍しさからか、正妻ではなかったものの頼芸からは深い愛を注がれていたものと考えられています。

しかし、当時頼芸の家臣で頭角を現しつつあった斎藤道三を重用していたため、彼は信頼の証として深芳野を譲り渡しました。

 

この譲渡によって以後は道三の妻となり、享禄2年(1529年)に道三の後継者となる斎藤義龍を出産すると、それからは歴史の表舞台に現れなくなってしまいます。

したがって、義龍出産以降の彼女について分かっていることは何一つありません。

ただ、裏を返せばこれは「彼女の生涯を自由に創作できる」ということも示しているので、麒麟がくるではその生涯をどう料理するのか、注目してみたいところです。

 

子の義龍は土岐頼芸との間に生まれていた?

最後に、深芳野についてしばしば伝わる伝説を検証して記事を締めたいと思います。

彼女が生涯で夫を変えることになった話についてはすでに触れましたが、公式には道三と深芳野の子であったはずの義龍は、実は前夫・頼芸の血を引いているという物語が江戸時代に多く見られるのです。

 

この根拠となりそうなポイントは、義龍が父であるはずの道三を相当に恨んでいたという事実が残されていることでしょう。

実際、彼は父を殺して政権を奪い取るわけですから、この恨みについては真実味があります。

そして、彼を恨んだ理由を「父頼芸を没落させた不忠者の道三」と説明するのが、上記の頼芸息子説なのです。

 

もっとも、DNA鑑定もできない当時において、子どもが本当は誰の血を引いているかを証明することは不可能でした。

そのため、道三実子説を否定できるような強い根拠もないことから、現状ではひとまず道三と深芳野の子であると考えるほかないでしょう。

 

【参考文献】
横山住雄『斎藤道三と義龍・龍興』戎光祥出版、2015年。
木下聡「総論 美濃斎藤氏の系譜と動向」『論集 戦国大名と国衆16 美濃斎藤氏』岩田書院、2016年。
和田裕弘『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』中央公論新社、2017年。

(筆者・とーじん)