甲陽軍鑑は偽書ではない!?高坂弾正との関係は

歴史学研究の要の1つと言っても良い「史料」であるが、これには様々なものが存在している。

『信長公記』や、ルイスフロイス『日本史』などのように信頼のおけるとされているものから、『明智軍記』などのように信憑性が疑問視されるものまで様々な評価の史料があるのである。

中でも『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』は、長年にわたって偽書であると言われ続けてきたことで有名である。

その理由は、刊行されたのが江戸時代初期であることと、内容にかなりの誤りがあるということであった。

しかし近年の研究により、その評価は一変しつつある。

最新の研究が明らかにしたこととは一体どのようなことなのだろうか。

 

甲陽軍鑑の評価

甲陽軍鑑は江戸時代に刊行され後に庶民の間でも広く読まれた、いわば武田信玄の一代記的な読み物であった。

史料としては、江戸時代からその内容に年代などの誤りが発見されるなど、評価は低かったようである。

『武功雑記』では『甲陽軍鑑』は作り話であり、作者は山本勘助の子供であると断定されている。

また、『常山紀談』でも「甲陽軍鑑虚妄多き事」という記述が見られるなど、散々な評価がなされていたようだ。

明治時代以降、歴史研究が「実証主義的」なものに変化していくのであるが、このことで『甲陽軍鑑』は偽書扱いされるようになったのである。

 

甲陽軍鑑の真実

『甲陽軍鑑』の史料としての価値が一変したのは、田園調布学園大学名誉教授の酒井憲二氏の研究がきっかけであった。

今から50年ほども前に、酒井氏は『甲陽軍鑑』の信憑性を査定するために版本の時期を遡るという方法を思いつく。

そのため全国中の甲陽軍鑑を調査したという。

その結果、原本に最も近い写本を発見したのである。

 

さて、ここからの分析方法が斬新なのだが、酒井氏は戦国時代末期の宣教師が編纂した「日葡辞書(にっぽじしょ)」で使われている単語と、その写本の中の単語を比較するという方法を取ったという。

そして、驚くべきことが判明する。

『甲陽軍鑑』で使われている言葉の用法が、「日葡辞書」が編纂された時期よりも古いものであることがわかったのである。

日本語は年代によって読み方などが変化していくが、その変化の境目を利用する巧妙な手法であった。

これは『甲陽軍鑑』が江戸時代に書かれたという定説を覆す大発見であった。

 

加えて、酒井氏が『甲陽軍鑑』写本を細かく調べたところ、次のような記述を見つけたという。

「この箇所の五分の一は切れてしまってないが、残った箇所を良く見て小幡勘兵衛が書き写した」

これによって、『甲陽軍鑑』が小幡勘兵衛の作り話であるという定説も覆された。

 

高坂弾正と甲陽軍鑑

しかし、小幡勘兵衛が書写したとなると、執筆したのは誰なのかという疑問が残る。

2018年6月この疑問に終止符を打つ大発見があった。

その存在は知られていたが、現存が確認できなかった『甲陽軍鑑』末書が発見されたのである。

 

発見されたのは都内の民家であったという。

そこには、次のような驚きの記述があった。

「自分の話を聞いたまま書くのだと弾正より申しつけられた。筆をとったのは二人。大蔵彦十郎と春日惣次郎である。」

ここで言う「弾正」とは武田家重臣・高坂弾正のことであるが、この記述は『甲陽軍鑑』の著者が高坂弾正であることを示している。

 

しかし、どうして高坂弾正は口述させる必要があったのだろうか。

その理由は高坂弾正の出自にあった。

実は高坂弾正は農民の子で幼名を春日源五郎といったという。

その後身寄りがなくなるが、武田信玄に見出されて家臣に取り立てられたという。

長じての名は虎綱、高坂の姓は養子先の姓である香坂に由来する。

 

数々の武功を挙げ、海津城代となるまでに出世した弾正であるが、百姓の出であるため読み書きが出来ず口述という方法を取らざるを得なかったというわけである。

弾正が口述までして武田信玄の事績を伝えたいと思った理由は何であろうか。

弾正による『甲陽軍鑑』の口述筆記は1575年(天正3年)5月頃から始まったと言われるが、これは長篠の合戦の時期にあたる。

この時期弾正は武田勝頼やその側近たちに対してかなり危機感を募らせていたようである。

『甲陽軍鑑』によると、勝頼は「強すぎる大将」であったという。

信玄から戦においては慎重さが重要であるとの薫陶を受け、自身も慎重な軍略で知られる弾正だけに、慎重さに欠ける勝頼の振る舞いには不安を覚えたことだろう。

若い世代に向けて信玄から学んだことを伝えなければという思いが『甲陽軍鑑』を書かせたというのが事の真相であるらしい。

 

まとめ

一連の研究により、江戸時代以降偽書とされてきた『甲陽軍鑑』の名誉が回復されつつある。

現在では、部分的には内容に誤りがあるが、そこを補足すれば第一級の史料として扱えるという評価が定着してきたように思う。

その研究の端緒となったのは国語学的な分析手法であった。

歴史学者が、その研究成果を受け入れて虚心坦懐に調査を進めたことが、『甲陽軍鑑』末書の発見につながったのではないか。

そう考えると、今のところ信憑性に乏しいとされている史料の中にも、実は真実がたくさん詰まっているものがある可能性は否定できない。

先入観を廃した調査・研究が期待されるところである。

(筆者・pinon)

Twitterで最新記事をチェックしよう!