実録版ラストサムライ 武士とともに戦ったフランス人

〜実録版ラストサムライ 武士とともに戦ったフランス人〜

2003年に公開された映画「ラストサムライ」。

主人公オールグレンを演じたのはトム・クルーズでしたが、筆者にとっては、反政府軍の武士団の首魁・勝元を演じた渡辺謙の方が印象に残った映画でした。

 

映画の舞台は、明治初頭でした。

政府に反旗を翻した武士団の物語ですが、この映画は、ある実在の人物をモデルにして描かれています。

その人物とは、フランスの軍人 ジュール・ブリュネです。

ここでは、ブリュネについてお伝えして参ります。

凛々しい軍人 ジュール・ブリュネ

 

ナポレオン三世が派遣した男

幕末の日本では、英仏が主導権争いを繰り広げていました。

イギリスは薩長に近づき、銃器や艦船の購入を斡旋し、日本での影響力を強めようとしていました。

一方の、フランスは逆に幕府を支援し、幕府の力を通して、日本への影響力を強めようとしました。

そして、1866(慶応2)年、ナポレオン三世は、幕府の軍事力強化のため、有能な指揮官を派遣し、幕府軍に訓練を施そうとします。

この軍事顧問団の副団長だったのが、ブリュネでした。

 

鍛え上げた伝習隊

ブリュネは、約1年間、幕府軍の伝習隊を鍛え上げました。

この時、伝習隊の兵士たちは、武士階級は少なく、庶民出身や武士でも身分の低い武士たちばかりでした。

こんな編成になった理由は、鉄砲です。

武士の魂である刀を使わず、来る日も来る日も鉄砲を担いで、行軍の練習ばかり。

こうした訓練に嫌った旗本たちは参加せず、むしろ刀にこだわらない身分の者たちが集まったのです。

 

一方、こうした身分の兵士たちでしたから、素行の悪い博徒ややくざ上がりの者もいました。

しかし、ブリュネは生粋の軍人です。

こうした連中に容赦ない訓練や懲罰を科し、鍛え上げていったのです。

 

こうした姿勢は、やがて幕府の人物たちからも評価されました。

また、最初は反発した兵士たちも、ブリュネの指導に従うようになり、やがて伝習隊は幕府軍の中でも最強部隊とされる存在になっていくのです。

 

戊辰戦争勃発 幕軍の敗走

1868(慶応4)年1月。ついに、幕府軍と新政府軍が激突。

日本を二分する戊辰戦争が勃発します。

緒戦の鳥羽伏見の戦いで、幕軍は敗れます。

 

しかし、江戸にはブリュネが鍛えた伝習隊はじめ無数の精鋭が残っていました。

しかし、徳川慶喜は、抵抗らしい抵抗もせず、江戸を明け渡します。

この慶喜の姿勢を潔しとしない幕府兵らは、江戸を脱走し、各地を転戦する決意を抱きました。

伝習隊も隊長の大鳥圭介の許で江戸を脱走します。

ブリュネが描いた幕府軍 絵の才能もあったようです

 

ブリュネの脱走

この時、江戸にいたフランスの軍事顧問団には、明治新政府からフランスに帰るように勅命が出されました。

しかし、ブリュネと下士官4名は、イタリア公使館でのお別れ会の意味もある仮装舞踏会に出席し、そのまま江戸を脱走。

フランス軍に退役届を提出し、江戸を発つ榎本武揚らの艦隊に身を投じたのです。

 

なぜ、ブリュネらは脱走したのでしょうか。

それは、教え子たちを見捨てることができなかったからです。

衝突をしながらも理解し合った兵士たちは、ブリュネにとって、かわいい教え子でした。

その彼らを見捨てることはできなかったのです。

ブリュネは軍事顧問団の団長・シャノワーヌに置手紙をして、ラストサムライらとともに戦い抜く決意を示したのです。

 

函館戦争

榎本武揚らともに渡った蝦夷(北海道)で、ブリュネは大鳥圭介を補佐し、4連隊を率いる将として活躍し、函館戦争で勇敢に戦いました。

しかし、自慢の艦隊を失った榎本らは追い詰められ、ついに降伏を決意します。

ブリュネは榎本らと行動を共にしようとしますが、ブリュネらに何かあったら日本とフランスの間の外交問題になることを危惧した榎本らの説得によって、ブリュネはフランスに帰還することを決意します。

生涯の友人となった榎本武揚

しかし、ブリュネを待っていたのは、脱走兵を捌く軍事裁判でした。

 

置手紙に救われる

軍隊にとって脱走は重罪です。

ブリュネらには厳罰が予想されました。

しかし、ここで脱走前にブリュネらがシャノワーヌに残した手紙が新聞に公開されました。

異国の教え子を見捨てることができず、戦いを共にしたブリュネらに心情が知られると、フランス全土にブリュネへの共感が沸き起こり、原隊へ復帰が認められました。

その後、ブリュネは、フランスの戦争相になったシャノワーヌの許で陸軍参謀総長にまで出世していきます。

 

日本との絆

ブリュネは、フランスに復帰したあとでも、日本のことを気にかけていました。

日清戦争の際には、フランスが日本の支持・支援に動くように政府に働きかけています。

その動きに感謝した明治政府が、ブリュネらに勲章を与えています。

 

このブリュネらの功績を伝えたのが、かつてブリュネとともに明治政府と戦った榎本武揚でした。

以後、ブリュネらは、フランスにやってきた日本の留学生の世話をし続け、日本の人材の教育に貢献していきました。

 

ラストサムライとともに戦ったフランス軍人・ブリュネ。

彼は、日仏友好の象徴として存在し、1911(明治44)年8月12日にその生涯を閉じました。

(筆者・黒武者 因幡)

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