読み方が難しい?伊達政宗の娘「五郎八姫」の生涯に迫る!

戦国時代には名前の読みが難しい人物も数多いですが、初めて見たときに強烈なインパクトをもたらすのが、今回取り上げる伊達政宗の娘「五郎八姫」の読み方でしょう。

私もこの名前を初めて見たときは「ごろうはちひめ」と読んでしまいましたが、正しい読みは「いろはひめ」といいます。

 

その名前から存在をよく知っているという方も多いでしょうが、実は彼女の結婚が関ケ原勃発要因の一つとなった、と言われるほどの重要人物なのです。

五郎八姫

不思議な名前は「伊達政宗が男子用のものを無理やり付けた」ためといわれる

五郎八姫は、文禄3年(1594年)に伊達政宗と正室愛姫との間に生まれた長女です。

彼女は愛姫が豊臣秀吉の人質となっていたために京都で誕生し、成長していきました。

 

なお、この「五郎八姫」という戦国時代でも珍しい名前について、正室との子ということで後継者の男子が生まれることを熱望していた政宗は、男子用の「五郎八」という名前しか用意していませんでした。

ところが、政宗の期待に反して女児が生まれてしまい、やむなくそのまま男性用の名前を付けてしまった、という言い伝えがあります。

 

松平忠輝との婚姻が、関ケ原の遠因に?

五郎八は、慶長4年(1599年)に弱冠5歳にして家康の六男・松平忠輝と婚約しました。

年齢を見てもわかるようにこれは明らかな政略結婚であり、政宗は家康への「お近づきのしるし」としてこの結婚を成立させます。

こうした伊達家の家康急接近の動きは関ケ原の大局に影響を与えたと考えられており、その意味では間接的に五郎八の存在が江戸幕府の成立に大きな意味を有していたことになります。

 

関ケ原では政宗の属した東軍が勝利し、婚約者の忠輝は天下人の息子という地位に落ち着きました。

そのため、慶長11年(1606年)に二人は正式な形で結婚。

忠輝はこの後慶長19年(1614年)には越後高田城主として75万石とも言われる領地を有した大大名となり、五郎八も夫に付き従って高田の地へと移りました。

 

政略結婚とはいえ2歳しか歳の変わらない忠輝とは良好な関係を築いていたと思われ、彼らの不仲を伝えるような記録は確認できません。

ところが、順調に勢力を拡大していた忠輝は、思わぬ落とし穴にハマることとなります。

 

大坂の陣で夫が改易され、高田の地を離れる

関ケ原以後鳴りを潜めていた豊臣家勢力が蜂起した大坂の陣に際して、忠輝は徳川方の将として出陣しました。

しかし、彼はそもそも着陣に遅刻してしまい、さらに秀忠の家人を切ってしまったことなどにより、すでに第一線を退いていた家康の怒りを買います。

 

その結果、当時の将軍であった秀忠は忠輝の改易処分を決定し、彼は伊勢国の朝熊に流されてしまいました。

ここで五郎八姫は彼と離縁し、実家である伊達家へと舞い戻りました。

ちなみに、忠輝の罪は生涯許されることなく、飛騨高山や諏訪を転々と流されていきます。

そして、改易から実に67年後の天和3年(1683年)に流罪先の諏訪で生涯を終えました。

 

もともと忠輝は「鬼子」と呼ばれ、不吉な息子として家康に忌み嫌われていたという言い伝えがあります。

そのためにこれだけ苛烈な処分を受けたとも考えられますが、秀忠の権力集中の障害になり得たためという説や、外国やキリシタンに深い関係を有していたためという説などもあります。

 

再婚はせず、生涯を仙台城の西で過ごす

仙台に帰ってからの五郎八は、ほとんど歴史の表舞台に姿を見せませんでした。

これは、忠輝改易後に再婚を果たさなかったためと考えられます。

 

ただし、当時もかなりの権力を有していた伊達政宗の娘ということもあり、再婚先が見つからなかったというのは不思議なものです。

個人的にはいくつかの可能性が考えられると踏んでおり、例えば忠輝と「おしどり夫婦」であったために他の夫を拒否した「夫婦愛説」や、伊達家とキリシタンの関係から五郎八が「隠れキリシタン」であり、再婚を拒否したという説もあり得るでしょう。

 

もっとも、その真相は史料上には残されておらず、分かっていることは彼女が仙台城の西側に住み続け「西館殿」と称されていたということのみです。

晩年の万治元年(1658年)には出家し、天麟院という号を名乗りました。

 

寛文元年(1661年)に67歳で亡くなり、彼女の菩提寺として「天麟院」が築かれました。

この場所は現代でも松島の観光スポットとして現存しており、伊達家の権力を象徴する「瑞巌寺」や、縁結びに効果があるとして有名な「円通院」などと同じ通りに、ひっそりと居を構えています。

 

【参考文献】
『朝日日本歴史人物事典』
佐藤憲一『素顔の伊達政宗:「筆まめ」戦国大名の生き様』洋泉社、2012年。

(筆者・とーじん)