1930年代後半からナチスドイツは、ユダヤ人に対する迫害を強めました。
ヨーロッパにいた多くのユダヤ人は危機感を抱き、国外に逃亡する人も多く出ました。
そうしたユダヤ人を救った人物として有名なのが、リトアニア領事代理だった杉原千畝です。
彼が救ったユダヤ人は、6000人にも上るとされています。
しかし、杉原よりも先に、満州に逃れてきたユダヤ人を助けた人物がいました。
その人物の名は、樋口季一郎(ひぐち きいちろう)。
ここでは、イスラエルで杉原と並び恩人とされている軍人・樋口季一郎をご紹介します。

グルジアでの出会い
樋口季一郎は、陸軍の中でもロシア語に堪能でした。
そのため、1919年のシベリア出兵を機にロシアに駐在し、その後、ポーランドなどにも赴任しました。
非常に優秀な軍人だったので、ロシア・ヨーロッパ駐在歴が長くなっています。
この間、季一郎がグルジアに訪れた際に、貧しい集落でユダヤ人の老人に出会います。
老人は、季一郎が日本人だと知ると、家に招きいれ、ユダヤ人が世界中で迫害されていること、そして、きっと日本の天皇が、ユダヤ人を救ってくれる救世主になるに違いないと思っていることなどを涙ながらに話したといいます。
この時の出会いが、季一郎の運命を大きく変えていくことになるのです。
ユダヤ人が逃げてきた オトポール事件
1938(昭和13)年3月、ユダヤ人18名がナチスドイツの迫害を逃れ、満州にやってくるという事態が起きました。
この時、季一郎は満州にいました。
この話を聞いた、季一郎は、かつてグルジアで出会った老人のことが脳裏に浮かびました。
季一郎は満州国政府にユダヤ人保護と彼らがアメリカ領だった上海まで逃れられるように満州国の通過ビザの発給するように求めました。
しかし、当時日本は、ドイツと日独防共協定を結んでおり、満州国政府も日本の傀儡だったので、日本に忖度し、許可を出しませんでした。
そこで、樋口は独断でユダヤ人を足止めされていたオトポール駅から満州国に入れ、上海に逃れさせました。
このことがドイツの知るにところとなり、ドイツ外相から抗議が来るなど日独の外交問題になりました。
関東軍からも季一郎の処罰を求める声が高まります。
季一郎は、当時の関東軍参謀総長だった東条英機に面会し、「ヒトラーのお先棒を担いで弱いものいじめをすることが正義といえますか」と発言しました。
東条もこの言葉に季一郎を不問として、ドイツの抗議も「人道上の措置によるもの」として、突っぱねました。
これ以後も、この満州から上海に渡るルートは、ユダヤ人の脱出ルートとして機能し、樋口ルートと呼ばれました。
この樋口ルートを通って助かったユダヤ人は数千人から一説では2万人に上ると言われています。
※ドイツに配慮して、人数に関する書類がなく、実数はわかっていません。

終戦後の戦闘
その後、季一郎は、北方軍の司令官として札幌に赴任し、アッツ島の玉砕やキスカ島の撤退作戦に直面します。
しかし、季一郎が向き合うべき最大の敵は終戦後にやってきました。
1945(昭和20)年8月18日、ソ連軍が北海道の北方・千島列島の占守島に攻め寄せます。
既に日本は武装解除した後でした。
この時、武器を取って戦うことは、ポツダム宣言受諾の国際合意に背く行為でした。
ためらう北方軍の兵士に、季一郎は武器をとって戦うように命令を下します。
日本軍は、季一郎の指揮のもと、占守島でソ連軍を撃退します。
その後、アメリカなどからの抗議がなされて、戦いは終わるのですが、この時の抵抗がなかったら、ソ連軍は千島列島だけでなく、北海道からさらに東日本までを占領下にしようと考えていたといわれます。
そのソ連軍を防ぎ、被害を最小限にしのいだ季一郎は、日本にとっては英雄ですが、ソ連からしたら憎い敵になります。
そして、極東軍事裁判において、ソ連のスターリンは季一郎を戦犯に指名し、逮捕・処罰を求めました。

ジェネラル樋口を救え
季一郎が戦犯に指名されるという報を聞いて、すぐに反応したのが、ユダヤ人たちでした。
同胞を救った季一郎を守るため、世界ユダヤ人協会が季一郎の赦免運動に動きます。
この世界ユダヤ人協会の関係者の中に、樋口ルートを通ってアメリカに逃れた人たちも多くいました。
世界ユダヤ人協会は、アメリカやヨーロッパでの活動を続け、ユダヤ人金融家たちもロビー活動を展開。世界的な助命嘆願運動を無視できなくなった各国は、季一郎を戦犯の対象から外しました。
季一郎は、かつて救ったユダヤ人たちから、今度は助けられたのです。
ゴールデン・ブック
1948(昭和23)年、ユダヤ人たちはついに悲願である自分たちの国家・イスラエルを樹立します。
この建国にあたって、歴史上の偉大なユダヤ人や、これまでのイスラエルやユダヤ人にとっての多大な功績のあった人たちの名を記したゴールデン・ブックというものがあります。
恩人のことは永遠に忘れないという意味があるものです。
このゴールデン・ブックには、「偉大なる人道主義者 ジェネラル樋口」として季一郎の名前が記されています。

8月は戦争に関して考えさせられる季節です。
正しいと思ったことでも口に出すことも行動することもはばかられてしまう時代の中で、樋口季一郎は、真の勇気をもった人物であったといえるでしょう。
(筆者・黒武者 因幡)