土偶(どぐう)と埴輪(はにわ)の違い、古代人が現代に伝えたかった事!

遥かなる時空を超えて、古代の埴輪が伝えたかったこと

1992年7月3日の天声人語(てんせいじんご・朝日新聞のコラム)のタイトルは、「戟(げき)を持つ武人埴輪(ぶじんはにわ)」というものでした。

埴輪(はにわ)が持っていた戟(げき)とは一体どういうものなのでしょう。

「武人埴輪」って言うけど、そもそも埴輪は武人だったの?とか、埴輪って、いつ頃なんのために作られた物なのだろう?とか、埴輪も土偶も人の形をしているけど、違いがあるの?など、次から次へと沸き起こる疑問に心が躍りました。

疑問について、ひとつひとつ紐解いていきましょう。

 

土偶(どぐう)と埴輪(はにわ)は何がちがう?


画像;左・土偶 右・埴輪

 

土偶も埴輪も歴史の教科書の最初の方で出てきますよね。

両方とも古代日本で作られていたものです。

人が踊っているものや、入れ墨をしているもの、妊娠している女性をあらわすもの、片足が壊れている宇宙人のような顔をしたものなど、とてもバラエティーに富んでいます。

人だけじゃなくて、シカや馬などの動物や円筒形の大きな傘立てみたいなものもあります。

 

みなさんは写真で見たときに、どれが土偶でどれが埴輪か区別することができますか?

それはどのような違いがあるのでしょうか。

ここでちょっと、土偶と埴輪の違いについて復習してみましょう。

大きく3つのポイントがあります。

 

①作られていた時代

まずは作られていた時代です。

土偶は、今から約1万3千年前~約2千400年前の縄文時代に作られました。

縄文時代は約1万年も続いたと考えられています。そのあと、弥生時代を経て古墳時代に入ります。

埴輪は古墳時代、3世紀後半~6世紀ころに作られていました。

 

②発見される場所

次に発見される場所です。

土偶は、集落の跡から見つかることが多いです。縄文の人々が住んでいた場所やお祭や儀式をした、暮らしの場から見つかっています。

それに対して埴輪は、有力者の墓である古墳から見つかっています。

 

③扱われ方

扱われ方も違います。

土偶は、ほとんどが女性を表しています。

胸やお腹のふくらみなど女性的な体の特徴が強調されていて、妊娠した姿を表現しています。

お腹の中に赤ちゃんを表す玉が入っているものもあり、土鈴のような音がします。

土偶は、赤ちゃんが無事生まれるようお願いをした安産祈願や、自然からの豊かな恵みが得られるよう、豊穣を祈ったものだと考えられています。

そして土偶は、意図的に壊されたものが多く見つかっています。祈りをささげる際に壊すことで、その願いを天に届けるという意味を持っていたのかもしれません。

 

一方、埴輪は権力者のお墓である古墳の副葬品で、権力者の力を民衆に伝える意味がありました。

種類は、人の形以外にも円筒形や、盾や傘、家や犬や鳥など様々な形がありました。

土偶は、表情や形に多様性があるので、集落に住む誰もが作っていただろうと考えられます。対して、埴輪は、同じ形、似たような表情の物が大量に生産されているので、埴輪を作る職人さんがいて、工場のようなところで専門に作っていたと考えられています。

 

戟(げき)をもった埴輪がもつ意味

1992年7月3日付の天声人語で紹介されていた、埼玉県の権現坂埴輪窯跡群で出土した「盾持ち武人埴輪(たてもちぶじんはにわ)」はとても面白い特徴を持つ埴輪でした。

出典:熊谷市文化財日記

 

埴輪の高さは55cmで、盾の前に武器を持つ様子を表現したものでした。

その武器は「戟(げき)」という大陸からもたらされた武器だと推定されています。

ヨーロッパから中国まで広範囲で確認されている武器です。

特に中国では長期間使用されており、馬上の敵を突いたり引き落としたりするために用いられました。

 

日本では、戦闘方法の違いがあり、この武器はほとんど普及しませんでした。

普及しなかったからこそ、戟を持つ武人埴輪の発見がとても珍しいことだとして報じられたのでした。

大陸からどのように権現坂に至ったのか、とても興味深いですね。

 

戟の起源がどの地域にあって、どのようなルートを通って日本までもたらされたのか知る術はありませんが、飛行機も車も無かった時代、シルクロードを通ってユーラシア大陸から日本までの間を人々が交易をしていた事実にロマンを感じます。

 

古代人が現代に伝えたかったこと!?

戟(げき)という武器は、真っすぐに伸びた矛先と、矛の根本あたりから横に出た鎌のような(鳶口状:とびぐちじょう)刃がある武器です。

矛で馬上の兵士を刺し、鎌のような部分で、馬上から兵士を引きずり下ろすのに使っていました。

 

鎌のような武器を別名「戈(か)」と呼んでいた時代がありました。

「干戈(かんか)を交える」という言葉にも用いられており、ここでは「武器」、「戦い」の意味をあらわします。

「大漢和辞典」の「武」の項を調べてみると、成り立ちは「戈と止との合字」とあり、意味は、「干戈の力により、兵乱を未発に止める」記されています。

武人の武、武士の武、武器の武は、武器の力によって争い事などを未然に防ぐ、抑止力を表していたというのは興味深いですよね。

武器は闘うためにあるものではなく、戦いを止めるために存在していたものだったんですね。

 

核兵器や、人の命を殺める武器は、本来生きていくために、何の役にも立たないものです。

武器を持つから、人は誰かを殺めてしまうのであって、武器の抑止力で平和が保たれているんだという考えは、本末転倒な気もします。

「本来、人類は武器を持つ必要なんてないんだよ。だって、ほら、僕の持っている戟は必要なくなって消滅したじゃないか」

古代人によって魂を込められた埴輪が現代の私たちに、そんなメッセージを伝えてくれているような気がします。

 

まとめ

・土偶と埴輪は作られていた時代も使用された場所も扱われ方も違うものだった。
・戟(げき)は古代人の交易によって大陸からもたらされた。
・武という文字には、武器で争い事を未然に防ぐという意味があった。

 

おまけ

大漢和辞典「武」の項にある「干戈の力により、兵乱を未発に止める」の意味は、元をたどれば、古代中国で今から2500年以上昔に書かれた、古典「春秋左氏伝」の一文「武は矛を止(と)むるをもってす」が元となっています。

ところが、「武」という漢字の本来の意味は、「戈(か)」をもって「止む(すすむ)」(武器をもって進む)様子を表しています。武器を振りかざして勇壮に突き進む様子が「武」という漢字のもつ本来の意味です。漢字が生まれた中国では、春秋左氏伝以来、「武器の力で争い事を未然に防ぐ」という意味が市民権を得て、日本に漢字が伝わるときに、市民権を得た漢字の意味が、そのまま伝えられました。

本来の意味と違うから「武器の力で争い事を未然に防ぐ」意味は間違いだ!ということをここで主張したいわけではありません。本来の意味は本来の意味として、大事にすべきです。ただ、漢字の生まれた中国で、新しい解釈が市民権を得て、それが日本に伝えられて、受け入れられたという事実の本質は、国は関係なく、誰でも争い事なんか望んでいないんだという気持ちの顕れではないかなということです。

日本でも、武の漢字の意味が「武力で争いを未然に防ぐ」と思っている人が存在しているのは、本当は争いなんてしなくても平和に生きていけることを知っている民族だからで、また戟が普及せず、消滅したのは、私たちが生きていくには、全く必要とされなかった道具だからです。

私たちは先人たちの考えから一歩あゆみを進めて、「武器」なんてなくても戦争の起こらない世の中は実現するんだよということを主張できる国民でありたいと願います。

(筆者・紫鶴)

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