政宗に仕えた勇猛で情に厚い武将!伊達成実の生涯に迫る

奥州の雄・伊達政宗の配下には、彼の躍進を支える優秀な家臣たちが数多くいました。

代表的な人物を二人挙げると、知略の「片倉小十郎」と、今回紹介する武勇の「伊達成実(だてしげざね)」ではないでしょうか。

 

まさしく側近として政治面を支えた小十郎に対し、成実は政宗の戦にほとんど従軍。

幼い時から伊達家に忠誠を誓い、武勇で政宗の躍進を支えた功臣でした。

ここからは、そんな成実の生涯を解説していきます。

伊達成実

幼い時から伊達家に仕え、武勇で名を挙げる

永禄11年(1568年)、成実は伊達実元の息子として生まれました。

成実は政宗のいとこにあたり、幼少のころから彼に仕え続けました。

そのため、政宗と成実はお互いに気心の知れた関係性であり、お互いを信頼していたと伝わっています。

 

彼は政宗の奥州平定に尽力し、政宗が仕掛けた天正13年(1585年)の人取橋の戦いでは伊達軍が敗走する傍ら、成実は奮戦して政宗の逃亡を助けました。

以後も天正16年(1587年)の郡山の戦いでは寡兵ながら蘆名氏の攻勢をしのぎ切り、翌年の摺上原の戦いでは強襲をもって劣勢を覆すなど、戦で轟かせた武勇を枚挙にいとまがありません。

 

さらに、政宗の前半生を詳細に記載した『政宗記』という史料も成実の著作とされ、彼が政宗にどれほど近い立場で絶えず仕えていたのかがわかります。

しかし、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が奥州地方に停戦令を発し、政宗にも小田原攻めへの従軍を命じます。

伊達家では秀吉に従うか否かが議論されましたが、成実はあくまで秀吉への徹底抗戦を主張しました。

 

最終的に政宗は秀吉への恭順と小田原攻めを決定したため、成実は留守役として黒川城に残って守りを固めました。

これにて天下統一の夢は絶たれましたが、伊達家は依然として奥州の大大名として君臨し、成実もこれまで通り政宗を支えていくものと思われましたが…。

 

原因不明の出奔を果たすも、関ケ原をきっかけに帰参

天正19年(1591年)に成実は角田城に移されると文禄元年(1592年)には朝鮮出兵に従軍し、帰国後は政宗とともに伊達屋敷で過ごしていました。

ところが、文禄4年(1595年)に成実は突如として伊達家を離れ、高野山や相州糟谷郷で浪人生活を送ることになってしまいます。

幼いころから気心が知れている政宗のもとをなぜ離れたかについてはいくつかの説がありますが、その詳細は全くといっていいほど不明です。

 

浪人となった成実ですが、その能力を見込んだ諸将から仕官の申し入れを受けていたと言われています。

例えば徳川家康は彼を仕官させようとしましたが、これは政宗の妨害によって成り立ちませんでした。

他にも上杉景勝から5万石で誘いが来ていたとも言われていますが、当時政宗と敵対していた景勝のもとに赴くことはできないと断固拒否しています。

 

一方、成実の去った伊達家でも激怒した政宗によって角田城が接収されると、成実を慕う家臣らが城の立ち退きを拒否。

そのうち立てこもった家臣の羽田右馬助という人物らが、接収を命じられた屋代景頼によって殺害されてしまいました。

 

こうして政宗と成実は決定的な対立を迎えたかに思われましたが、慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いに際して、片倉小十郎石川昭光らのあっせんにより政宗から帰国命令が出されます。

成実もこれを受け入れて復帰。

ここで両者はふたたび主従関係を回復し、関ケ原にも見事勝利しました。

 

江戸時代は政宗の死後も長寿を全うする

関ケ原の戦後処理を終えた慶長7年(1603年)、これまで亘理城を治めていた片倉小十郎に代わって城に入り、以後は亘理城主として伊達家を支えていきました。

復帰後は婚姻の使者や大坂の陣への参戦、最上氏の改易にともなう城の接収など数々の大役を担います。

寛永13年(1636年)の政宗没後は小十郎とともに二代藩主伊達忠宗を伊達家臣の最古参として支え、寛永15年(1638年)には伊達家を代表して幕府に赴き将軍家光に戦国の記憶を語るような役割を果たしました。

 

その一方、亘理地域の開発にも積極的で治水事業などにも大きな功績を残すなど、武勇だけでなく知略にも長けた武将であったことがわかります。

最終的に成実は2万3千石を有し、この領地は子孫にも受け継がれて伊達家を守る盾となっていきました。

 

最終的に成実は正保3年(1646年)に79歳で没し、長寿を全うしました。

彼は妻を文禄4年(1595年)に亡くし、さらに後妻も早逝しているため、子供をもうけることはできていません。

しかし、成実は政宗の九男である伊達宗実を養子に迎えていたため、彼が跡を継いでいくことになりました。

 

【参考文献】
『日本人名大辞典』
佐藤憲一『素顔の伊達政宗:「筆まめ」戦国大名の生き様』洋泉社、2012年。
歴史群像編集部『戦国時代人物事典』、学研パブリッシング、2009年。

(筆者・とーじん)