「足利義輝」剣豪として名を馳せた室町幕府将軍の生涯に迫る

足利義輝(あしかがよしてる)といえば、没落していく室町幕府における最末期の名君であり、同時に剣豪というイメージをもっている方も多いかもしれません。

ただし、義輝という人物は「剣術」のイメージが先行するあまり、後世で創作されたイメージが根強い人物であるのもまた事実。

そこで、この記事では史料や文献に基づいて義輝の実像を紹介していきます。

肖像・足利義輝

 

苦難の前半生を過ごす

天文5年(1536年)足利義輝は室町幕府12代将軍足利義晴の嫡男として京都に生まれました。

義輝は世が世ならば安穏の生涯を送っていたのでしょうが、残念ながら応仁の乱後は京都が荒れ果てており、彼もまた否が応にも戦乱の中に巻き込まれていきます。

 

当時の都は足利将軍家と管領の細川家が対立を極めており、加えて細川家が連戦連敗の状況にあったため、天下の将軍後継者でありながら親子ともども隣国の近江に逃亡するという幼少期を送っていました。

そのため、義輝はわずか11歳で将軍職を譲られ、戦乱の京都に放り込まれることに。

将軍となった義輝は、天文17年(1548年)に父と細川晴元が和解したことにより彼もまた京都に戻ることになりました。

 

しかし、最大の対抗勢力と思われた細川晴元をしのぐ脅威として、晴元の家臣であった三好長慶が彼を裏切って義晴と敵対したことが原因で、彼らはふたたび京都を逃れることになってしまいます。

こうした情勢の中、苦難にあえいだためか天文19年(1550年)に義晴が亡くなってしまいました。

そのためいやが応にも足利家を代表して戦うことになった義輝は三好家と対決していきましたが、戦局は好転せず苦戦を強いられていきます。

 

京都をめぐる戦の中で三好勢には何度も反攻を試みていますが、小競り合いや暗殺未遂などことごとく作戦が失敗し、畿内において足利将軍の権威が低下を極めていました。

苦難を耐え忍んだ義輝は、永禄元年(1558年)に六角氏の仲立ちによって長慶と和睦し、将軍ながらようやく5年ぶりに京都へと入洛を果たしたのです。

 

諸国の大名と交渉を重ね権威の復活を果たす

こうして京都に入った義輝は、将軍の権威を取り戻す手法を模索しました。

そこで、彼は各国の大名と積極的な交流や争いの調停を果たし、その影響力を増していきます。

 

義輝が交流を図った大名は伊達氏・武田氏・島津氏・上杉氏など、大半の有力一族が挙がります。

さらに、義輝は「足利将軍であること」を生かし、有名無実化していた官位や偏諱を最大限に生かす政策を打ち出します。

これは一見無意味なようにも思えますが、これまで実力だけで成り上がった大名やかねてから守護や守護代として権威を大切にしていた武将には効果がてきめんでした。

そのため、後世においても彼の懐柔策は一定の成果を上げていたと考えられています。

 

さらに、永禄年間に入ると三好氏の勢力が低下しはじめ、それを生かして彼は長慶と手を結ぶことでさらなる権威の獲得を目指しました。

その長慶は永禄7年(1564年)が病死し、彼はそれをチャンスととらえたことは言うまでもないでしょう。

 

このように、義輝の治世は室町将軍府の権威と権力の回復に一定の成果を示したとみるべきでしょう。

彼の方針が苦境続きの幕臣に勇気を与えたのは間違いないでしょうし、このあたりの見解については研究においてもある程度まとまった認識がなされているようです。

 

精力的に動き回る彼は「邪魔者」として排除されてしまった…

義輝を中心に再興を果たすかに思えた足利家ですが、彼の動きは機内で権力獲得を目指す松永久秀や三好三人衆にとっては「目の上のたんこぶ」でした。

そのため、彼らは義輝を排除するべく暗躍をはじめていきます。

 

一方で、義輝の後援者であった六角氏が領国の不安定さから彼の支援を続けられなくなり、義輝は後ろ盾を事実上失うことになります。

こうして苦境に陥った義輝は、永禄8年(1565年)に二条御所で松永勢らの襲撃に遭い、その場で殺害されるという悲劇に見舞われました。

この暗殺に際しては義輝が圧倒的不利の状況で天下無双の活躍を見せたとも伝わりますが、実際は言い伝えられているような大活躍はなく、淡々と殺害されたと考える見方もあるようです。

 

また、彼が剣豪であったという素性についてもそれを疑う見解も存在します。

実際、塚原卜伝の免許皆伝を受けたというエピソードも真偽のほどは明確ではなく、それを全面的に事実だと考えることは難しいでしょう。

 

とはいえ、結果として義輝亡き後の室町幕府は滅亡への歩みを急速に早めることとなります。

15代将軍足利義昭の能力や幕府滅亡時期の議論は続いており確定はしていませんが、少なくとも彼の死後一代で滅んだという事実に変わりはありません。

こうした歴史を考えると、義輝が五体満足で生存していた場合の歴史ifをどうしても考えたくなってしまいますね。

 

【参考文献】
木下昌規編『足利義輝』戒光祥出版、2018年。
榎原雅治・清水克行『室町幕府将軍列伝』戒光祥出版、2017年。
今谷明・天野忠幸『三好長慶;室町幕府に代わる中央政権を目指した織田信長の先駆者』宮帯出版社、2014年。

(筆者・とーじん)

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