明智光秀と煕子(ひろこ)の夫婦愛

(筆者・黒武者因幡)

作家オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」という物語をご存知でしょうか。貧しい夫婦がいました。その夫婦は、お互いにクリスマスプレゼントを贈ろうと考えていました。

妻は、自慢の髪を切ってお金に換え、夫が祖父から受け継いだ金の懐中時計に似合う金の鎖を買いました。一方、夫は妻の髪に似合う素敵な鼈甲の髪飾りを、自慢の時計を売って買いました。そして、クリスマスの日、お互いにプレゼントしたものは、無駄になりました。

けれど、自分の大切なものを犠牲にしても、相手を思いやる優しさをお互いに贈ったという話です。

 

これに似た話が、日本にもあるのです。主人公は、明智光秀と妻の煕子(ひろこ)です。

来年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主役・明智光秀

 

 

不遇の夫を支える煕子

明智光秀は、一説には名門土岐家の血筋だと言われています。しかし、戦国時代にはそのような生まれも、力がなければ何の意味もありませんでした。光秀は、斉藤道三・義龍の争いの際に、道三側につき、敗れたため、流浪の生活を送ることになりました。

しかし、光秀は教養があったため、各地で連歌会に呼ばれます。そのうち、主催者として参加者をもてなさなければならない立場になりました。連歌会は、有力者も参加するので、会を上手く運営できれば出世する可能性もある大事なものでした。しかし、金がないので断ろうとする光秀を煕子は「私が何とかします」と言って、引き受けさせました。

そして、煕子は、ご馳走やお酒を用意し、光秀の連歌会に参加した人たちをもてなして、会は滞りなく終わったのです。

会が終わった後、光秀は煕子に礼を言いました。そして、煕子が頭巾をとったとき、光秀は驚きました。

煕子の自慢の美しい黒髪は、すっぱりと短く切られていました。煕子は黒髪を売ったお金で連歌会を開催したのです。

以後、光秀は、煕子に感謝して、側室をもたなかったとされています。

煕子が光秀を支えたわけ

煕子が光秀を支えたのにも理由がありました。煕子は、光秀と結婚する前に、疱瘡にかかってしまい、美しい顔に痘痕が残ってしまいました。(かかっていないという説もあります)

そこで、煕子の実家の妻木家では、代わりに妹を妻にしようと考えましたが、光秀は望んで煕子を妻に迎えたのです。

「私は、外見の美しさに魅かれたのではなく、心根の美しさに魅かれたのです。我が妻は、煕子をおいて他には考えられませぬ」

このようなことを光秀が言ったのではないでしょうか。普通であれば、断られても仕方がないところを、光秀が望んで妻に迎えてくれたことが、煕子にとって何よりも嬉しかったはずです。お互いを思いやり、支えあう美しい夫婦愛が、光秀と煕子から感じられます。

光秀と煕子の娘 珠(ガラシャ)

煕子の肖像はありませんが、美しかったのでしょう。

 

光秀の出世

煕子の髪を売ることで面目を施した光秀は、以後、出世していきます。

煕子にここまでの苦労をさせてしまったことを悔やみ、煕子の恩に報いたいと考えた光秀が、ついにその才能を発揮する時がやってきたのです。

将軍・足利義昭の復権を通じた働きかけの中で、光秀は織田信長と知り合ます。当時、光秀は朝倉家に身を寄せていましたが、義昭の復権を約束しながら何ら動きをみせない朝倉義景を見限りました。そして、信長の人物や才能を認めた光秀は、義昭を託すに足りる人物として信長を推薦するのです。

一方の信長も光秀の才能を認めました。やがて、光秀は信長の陣営に加わることになりました。そして、浅井朝倉攻め、比叡山焼き討ち、長篠の戦い、丹波攻めと活躍。近江坂本城の城主として遇され、信長の陣営の中でも、一、ニを争う重臣として活躍します。

坂本城址公園にある光秀像

 

煕子の死

しかし、順調に信長の許で活躍している光秀を悲しみが襲います。1576年11月、煕子が坂本城で亡くなってしまったのです。享年は46(諸説あります)と言われています。

当時、光秀は過労から病に倒れ、坂本城で療養していました。そして、煕子は光秀の看病に当たっていました。看病などは侍女など他人に任せればよかったのかも知れませんが、煕子はそうはしませんでした。

戦となれば、年単位で不在にすることもある光秀です。その光秀の傍で時を過ごせるということは、夫婦で過ごせる掛け替えのない時間だったのではないでしょうか。煕子には愛する夫の世話を他人に任せるという選択肢はなかったのでしょう。

しかし、それは同時に光秀を万一のことがないようにと細心の注意を払わなければなりません。その緊張感を一身に背負うことでもあったのです。煕子の死は光秀にとって、悲しいことでした。

しかし、煕子にとってはきっと幸せな時間だったのではないかと思います。

 

松尾芭蕉の心を打つ

美しい夫婦愛に溢れた光秀夫妻の話は、時代を経て、一人の人物の心を打ちました。その人物とは、俳聖と言われた松尾芭蕉です。芭蕉は特に、煕子が黒髪を売って光秀を支えた話が好きだったようです。

芭蕉は旅の途中、近江の西教寺にある煕子の墓を訪れ、「月さびよ 明智が妻の 話せん」という句を詠んでいます。

西教寺に残る芭蕉の句碑

 

理想のカップル 光秀と煕子

明智光秀と言えば、本能寺の変の印象が強いので、裏切り者、謀反人というイメージを持つ人も多いと思います。

でも、夫婦お互いが支えあい、お互いを大事にした理想的な夫婦でもあったのです。

バレンタインデーやホワイトデーなど、カップルがお互いに贈り物をする時期が近いですね。せっかくですから、お互いを思いやる気持ちという贈り物を交換されてはいかがでしょうか。

 

(筆者・黒武者因幡)