5分で吉野作造について!民本主義ってなに?偉業ややったこと

吉野作造(よしのさくぞう)といえば、思想家であり政治学者ですね。

大正デモクラシーの中心的人物で、日本を民本主義・自由主義へとリードした人物です。

今回、吉野作造のかんたんな経歴民本主義ってなに?について、紹介していきますよ。

 

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吉野作造、プロフィール

名前:吉野 作造(よしの さくぞう)
出身地:宮城県志田郡(現・宮城県大崎市)
生誕:1878年1月29日
死没:1933年3月18日
享年:55歳(胸膜炎)
時代:明治時代-大正時代-昭和時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

野作造は、綿織物を扱う吉野屋を営む父・年蔵と、母・こうの長男として、宮城県に生まれました。

生まれたときは作蔵ですが、あとから作造に改名しています。

 

歳で小学校に入ると、すばらしい成績を修めます。

中学校では、江戸時代の経済学者・林子平(はやししへい)の研究論文を雑誌に投稿したりするような文系青年でした。

こちらも優秀な成績で卒業します。

高校受験も難なくクリアし入学すると、自分の意思の弱さを克服するために聖書研究会に入り、クリスチャンとなりました。

 

1900年、高校を卒業した作造は、2歳年上の阿部たまのと結婚。

そして東京帝国大学(現・東京大学)で学びます。

吉野家は、作造の学費を出す余裕がなかったために、妻・たまのが宮城で小学校教員として働きながら家計を助けたおかげで、勉強に打ち込むことが出来ました。

 

大学では、日本初の政治学者・小野塚喜平次(おのづかきへいじ)のもとで熱心に政治学を学びました。

また社会主義思想についても興味を抱きました。

トップの成績で卒業したあとは、大学院へ進み、東京帝国大学工科大学の講師となります。

 

そして銀時計を受け取りました。

銀時計とは、明治維新から第2次世界大戦までの期間に、天皇からプレゼントされた名誉ある賞です。

受賞者は主に軍学校や帝国大学から選ばれ、学業のみならず人格的にも優れた者だけが受け取れました。

めっちゃ名誉のあることなのです。

 

の後、清(中国)の天津に渡り大物政治家・袁世凱(えんせいがい)の長男の家庭教師を務めたりしました。

帰国後は、東京大学の助教授となり政治学を教えます。

翌年の1910年、32歳で欧米留学へ旅立ちました。

 

ドイツのハイデルベルク大学で学び、その後オーストリアのウィーンで労働党のデモンストレーションを研究します。

そしてフランス、イギリス、アメリカの政治と民衆の様子について広く学びました。

そして世界中で民主主義(デモクラシー)がブームとなり一般市民の心を掴みます。

吉野は、その中心が労働者であることに大きなインパクトを受けたのでした。

 

年間の欧米留学を終えて帰国した作造は、東京大学で政治史を教え法学博士号をゲットします。

その後、中央公論の編集長・滝田樗陰(たきたちょいん)のオファーを受けて、次々と論文を発表します。

中でも代表作となったのは1916年発表の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」でした。

この論文は大正デモクラシーのベースとなり、作造は「民本主義」という言葉を使い国民をリードしました。

 

1924年、46歳で東大教授を辞めて、東京朝日新聞社(現・朝日新聞社)に編集顧問と論説委員として入社します。

が、政府を批判するような演説が、政府の目に留まりトラブルとなり、わずか4か月で退職します。

そして、活動の場を東京大学に戻し、明治文化の研究にエネルギーを注ぎ近代の歴史研究の基礎となった「明治文化全集」を創刊しました。

軍閥政治が色濃くなる日本を不安に思いながら政治を見守り、1933年、55歳で胸膜炎により亡くなりました。

 

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民本主義ってなに?

造の唱えていた民本主義ってなに?ってことですよね。

ちょっと紹介してみます。

 

民本主義とは、主権が天皇にあるという考えです。

作造は代表作の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」で、民本主義を唱えました。

作造が、3年間の欧米留学で身に付けた知識は、民衆の心を大きく動かし、日本を大正デモクラシーへと導きました。

大正デモクラシーとは、民主主義思想と運動のことで、多くの国民が政治に参加して、より良い社会そして国を作るといったものです。

労働運動・農民運動・社会主義運動・女性解放運動などがありました。

 

欧米で人気となっていた民主主義の主権は国民にありましたが、日本では明治憲法の下で主権は天皇にありました。

民主主義を唱えれば天皇主権の廃止を意味すると考えた作造は、主権はあくまでも天皇にあり、国民の幸福や利益は政治や世論によって決めるべきだと主張しました。

この思想が民本主義です。

民主主義の変化形ですね。(・∀・)

そして、国民の意見を反映できる普通選挙の実現と、思想によって構成される政党内閣制を理想とし、天皇制の継続と国民の意思の尊重を唱えたのでした。

 

まとめ

ということで、
5分で吉野作造について!民本主義ってなに?偉業ややったことでした。

 

吉野作造をかんたんに語るポイントは、

・気弱だったから、自分を鍛えるためにクリスチャンになった

・銀時計を貰えるほどに、学力も人格も優れていた

・「民本主義」思想で、大正デモクラシーをリードした

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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