徳川家康を5分で知る!性格や死因、偉業をカンタンにわかり易く紹介

徳川家康といえば、信長、秀吉と並べられる「三英傑」のひとりですね。名前だけなら、誰でも聞いたことがあるでしょう。

そんな有名人である家康は実際にどんな人物だったのでしょうか。

家康のエピソードや偉業、性格や死因などをカンタンにわかり易く紹介していきますよ。

 

スポンサーリンク

徳川家康、プロフィール

155903

徳川家康
生誕:1543年1月31日(天文11年12月26日)
死没:1616年6月1日(元和2年4月17日)、75歳没
出生地:現・愛知県岡崎市
時代:室町時代(戦国時代)-安土桃山時代 – 江戸時代前期

改名:竹千代(幼名)→ 松平元信(初名)→ 元康 → 家康 → 徳川家康

 

 

徳川家康の偉業

徳川家康といえば「凄い人」なのは知っています事でしょう。

でも何した人なの?って事ですよね。家康の偉業をカンタンにわかり易く紹介していきますよ。

 

 

天下統一を果たし、平和をもたらした

家康の偉業として、絶対に外せないのは「天下統一」して国を平和にしたことでしょう。

彼は、いわゆる「戦国時代」を完全に終わらせ、争いごとや揉め事をなくした(少なくした)のです。

そして江戸幕府を開き、264年もの間、日本は徳川が実権を握っていたのです。

 

 

戦もやっぱり強かった

家康というと、戦よりも政治なイメージが強いかもしれません。

それでもやっぱり戦はふつうに強かったのです。めっちゃ強いとは言えないかもですが。

それも家臣に恵まれていたおかげとも言われていますが、それでも野戦では1回だけしか負けたことがないのです。(負け戦は三方ヶ原の戦い、う◯ち漏らしで有名。後述しています。)

 

スポンサーリンク

面白い、凄いエピソード?

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」は有名ですね。

どんな不運に見舞われても、辛抱強く耐える家康らしさを表した歌です。

ここでは、天下人・家康の人物エピソードを紹介していきますよ。

 

 

江戸城は風水に基づきまくっている

徳川の居城である江戸城は、風水に基づいているのだといいます。

天海という僧を“右腕”に置いていました。

その天海の風水のアドバイスを参考にしまくり、江戸城を築城したのだそう。

ちなみにこの天海は、100歳以上生き抜いたというから、当時としてはもの凄いですね。

 

 

マスカケ線の持ち主だった

tino1811

家康の手相がマスカケ線だった事でも有名です。マスカケ線は「天下取りの相」とも言われる手相です。

これの持ち主は、超強烈な個性の持ち主で超強運。そして「変わり者」が多いのですが、それゆえに成功者に多いとされているのです。

信長、秀吉、家康がマスカケ線の持ち主だったことも有名ですし、最近では、明石家さんまさん、ダウンタウン浜田雅功さん、アントニオ猪木さん、イチローさんらもこの手相だそうですよ。

 

 

質素で長寿だった

家康は天下人でも、質素を好んで健康食を心がけていたと言われています。秀吉と真逆ですね。(・∀・)

着物もずっと同じものを着ていたり、下着も汚れが目立たない黄色のものを愛用して履き続けていたのだそう。

当時としては長寿で、73歳まで生きているのですね。

天下を取れたともその長寿ゆえです。無駄遣いのなさは、政治にもみられ、そのため莫大な財産を築きあげ、江戸幕府を強固なものとしていたのです。

 

 

身長は157cmだった?

家康の身長として語られるのが、157cmというもの。当時の着るものや史料からの推測でほぼ合っているとのこと。

当時の平均身長が157cmだというから、これでもふつうなのですね。

ちなみに、当時身長が高いとされていた信長でも165cm。チビとされていた秀吉は140cmだといわれています。

 

 

う◯ちを漏らした自分を、書き写し残した。

知る人ぞ知るエピソード。家康う◯ち漏らし事件。

これは、あの武田信玄の軍に圧倒的な負けを喫して、家康が逃げまくったというもの。その時に家康は、馬に乗りながらう◯ちを漏らしていたのだそう。

それだけ命がけでギリギリだったのでしょう。

 

で、帰った家康は「2度とこんな失態をおかしてはならない」と、教訓にう◯ち漏らしの自画像を描かせます。「しかみ像」として有名です。

こんな感じ。
20150927154003

その後お茶漬けをかきこんで、いびきをかいて寝たという、家康のストイックさと神経の図太さがわかるエピソードです。

 

 

死因は天ぷらって?

家康の死因として語られるのが「天ぷらの食べ過ぎ」ですね。

家康は死ぬ3ヶ月前に、天ぷらを食べまくったのだそう。高齢で当時にしてはあんな油っこいものは珍しく、それで内臓が悪くなったというもの。

しかし、これは死ぬ3ヶ月前のこと。直接の原因として「天ぷらの食べ過ぎで死んだ」とは言えないでしょうね。

 

では死因は?ということですが、最も有力なのは胃がんです。

当時の弱っていく様子や症状から「胃がんだったのでは?」と言われています。

 

 

まとめ

徳川家康のエピソードや偉業を紹介しました。エピソードから少しは人柄が見えたでしょうか。

江戸幕府は徳川幕府とも言われますが、まさに264年間は徳川の時代だったのですね。それを最初に作ったのが家康ですから、現代でも崇められているわけです。

三英傑3人の性格の違いも、ホトトギスの歌で表されています。とても面白いですよね。タイムマシンがあったら1番行ってみたい時代かもしれません。

 

スポンサーリンク

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ