武田信玄ってどんな人物?5分で知る偉人!

武田信玄といえば、名前くらい聞いたことがあるという人も多いでしょう。

なんとなく強そうな名前ですが、実際に強かったらしく、戦においては最強説もでています。

今回は、武田信玄の偉業やどんな人物だったのかをわかりやすく紹介していきますよ。

 

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武田信玄、プロフィール

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名前:武田信玄(元は武田晴信)
出生地:甲斐の国(現在の山梨県あたり)
生誕:1521年12月1日(大永元年11月3日)
死没:1573年5月13日(元亀4年4月12日)
時代:室町時代(戦国時代)

父:武田信虎(戦国大名)

 

・もとは晴信という名でしたが、40歳くらいでお坊さんになってからの名が信玄でした。

・戦が天才的に強く、「風林火山(ふうりんかざん)」と書かれた軍旗は有名です。

・人々を大切にした深い心で戦略をたて、戦いを勝ち抜いた姿は現在まで尊敬されています。

・最大のライバルは上杉謙信でした。

・最後は疫病で死んでしまいます。武田信玄が死んでいなかったら時代は違っていたとも語られます。

 

 

武田信玄の偉業

現代でも時代劇の中心人物になるほど、人気が高い武田信玄。すごいですよね。

信玄は武将としても成果をあげ、法律の整備も得意でした。ここでは、武田信玄の遺業を紹介していきます。

 

戦の天才?

信玄を語るには、まずは戦(いくさ)の強さでしょう。あの徳川家康も信玄を前に、圧倒的敗北を喫しています。

昔の戦は、今のようにパソコンもなく何かを機器で統制することが出来なかったので、練習をたくさんしても、ミスをひとつすると部隊が全滅してしまうほど厳しい戦いでした。

なので、指示を出す武将の命令や判断力は軍にとって命綱そのもの。ここまで信玄が尊敬されるのはそれだけ素晴らしい判断をすることができたからです。

彼は、資源には恵まれなかったものの、自分がもてる兵力や軍の統率力を武器に、形成を逆転して勝ち続けたため、今でも崇められているのです。

 

 

人々を大切にした

人々をとても大切にしていた事でも有名です。

戦国最強とも言われる武田信玄ですが、民の大切さを知っていて、それに尽くしたのです。

有名な言葉として、

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

というものが、あります。

まさに、ひとむかし前の「学校の番長」のように、心の優しい熱い男だったのではないでしょうか。

 

 

安定的に水を供給

「信玄堤」とよばれる堤防をつくり、洪水を防ぐことに成功します。

人々の生活に超必須な「水」を調整したことで、人々からたいへん喜ばれました。

この「信玄堤」は、家康も真似したといわれ、当時としてはまさに革命的だったのです。

 

 

のように「戦のつよさ、政治力、信頼」など、その力が民衆に認められ、尊敬されていたのでした。

そうして偉業を成し遂げた信玄の生き方は、現在の世の中でも参考にされているのです。

 

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面白い、凄いエピソード?

武田信玄の面白エピソード、実はいろいろあるようなのですが当時の武将の生活の様子から見ておそらく本当だろうとされているものを紹介していきます。

 

武将たちは女ったらしであり、男ったらしでもあったらしい?

信玄が書いたとされる言い訳がましい手紙が残っていて、それは男に向けた恋文でした。

武将たちは戦に行くとき、若く賢い男性に世話をやかせたりしていました。その中でも信玄が目をかけた美青年たちがいたようです。

この時代としては、美青年に身の回りの世話をさせることは(性的行為も)ごく普通のことだったのです。

 

遺言で「死んだ事を隠せ」

これはよく知られた話ですが、信玄は「自分が死んだことを隠せ」と言って亡くなったそうです。

信玄は息子である勝頼の力を信頼しておらず、勝頼が家臣たちを従えさせられないと思っていましたし、信玄が死んだとなれば敵の士気もあがります。

信玄は、自分が死んだことを隠してまで戦に勝とうとしたのです。

しかし敵たちには、信玄が死んだことはさっそくバレバレだったそうです。

 

 

は本人の手紙や日記のようなものがほぼ見つかっていないので、実際にどういう人だったか、あまり分かっていないのですが、やはり仲間からは相当信頼されていたのですね。

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」、改めて大切なことを教えてくれる偉人です。

 

こちらの記事で、武田信玄の子孫、末裔などについて紹介しています。

>>>武田信玄の息子、子孫は生き残ってる?

 

まとめ

「武田信玄とは」について、遺業やエピソードについて紹介しました。

身近なところでいうと、山梨ほか静岡や長野方面のお土産で信玄餅があり、その信玄こそが武田信玄です。それだけ有名な武将なのです。

誰でも弱い部分がありますが、武田信玄はそれに負けずに、自分が得意な部分で精一杯努力して自分の仲間と共に勝利を掴もうとしました。

情報を集めることも得意としましたが、大切な情報を渡してもらえたのは信玄が信頼されていた証(あかし)。

この人なら勝つだろう、この人についていけば幸せになれそうだと、周りの人が思ったからなのですね!

 

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