大塩平八郎を5分で!身長217cmってガチ?遺体を塩漬けにしてた?

大塩平八郎(おおしおへいはちろう)といえば、江戸時代後半に起きた「大塩平八郎の乱」はあまりにも有名です。

今回、大塩平八郎のかんたんな経歴身長217cm説、そして遺体の塩漬けについてご紹介します。

 

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大塩平八郎、プロフィール

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名前:大塩平八郎(おおしおへいはちろう)
出身地:大坂(現・大阪)
生誕:1793年3月4日
死没:1837年5月1日
享年:45歳 (短刀と爆薬による自決)
時代:江戸時代 後期

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

1793年3月4日、大塩平八郎は大坂に生まれました。

平八郎が生まれた大塩家は、代々旗本や与力を勤める裕福な家でした。

旗本とは幕府で働く武士の事で、与力とは現在の警察官と裁判官を合わせたような立場です。

平八郎は、10代の頃からこの与力として活躍し、世のため人のために平和を守っていました。

 

38歳の頃、大活躍した与力をやめて、洗心洞(せんしんどう)という、陽明学(中国より伝わった儒教の一つ)を教える塾を開きます。

平八郎は、陽明学を教えるかたわらで、武術にもたいへん優れていたとされます。

 

の頃、天保の大飢饉(1833~1839)が日本を襲います。

米はもちろん農作物の全てが不作となりました。

各地で餓死者が出るほどの、深刻な状態です。

 

そんな状況下にありながら天下の台所と呼ばれた大坂には、全国から米が集まります。

その集まった米は農家の百姓から役人が取り上げた米です。

全国規模で米が不足している為に、米の値段は値上がりする一方で、庶民はとても手を出せる値段ではありません。

庶民が食料不足により、命の危険にあっているにもかかわらず、大坂の奉行所の役人たちは、その米を幕府に贈るのでした。

米の価格をつり上げる商人、米を高値で買い占めて幕府に贈ってしまう役人、目の前で餓死していく民衆、この状況を見かねた平八郎は、ついに立ち上がります。

これが、大塩平八郎の乱」です。

 

平八郎らは、幕府に不満を持った仲間たちと、大坂の豪商といわれるリッチな商人の家を次々に襲い、米や金銀を奪いそれを庶民へと分け与えていくのでした。

最終目的地は大阪城の米蔵でしたが、その前に幕府の軍勢も立ちはだかり、この正義のクーデターはわずか半日という短さに終ったのでした。

「大塩平八郎の乱」は、失敗に終わりましたが、その後世間に与えた影響はとても大きくて、各地で農民一揆が多発したのでした。

 

 

身長217cmってほんと?

塩平八郎はなんと身長が217cmだったといわれています。

平八郎は幼い時に両親を亡くしたため祖父母の手により育てられました。

たくさん可愛がられ、たくさん食事を与えられたことで体が大きくなったとされています。

 

これは当時の衣服からわりだした身長なので、信ぴょう性はあります。

多少のズレがでてしまいので、実際に217cmだったかはわかりませんが、非常に体の大きい人だった事は事実のようです。

 

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遺体を塩漬けにしてたって?

「大塩平八郎の乱」後は、大坂市街の5分の1が焼失し、焼死者や家を失った人などたくさんの犠牲者が出ました。

平八郎は、知人の家に隠れていましたが、幕府に見つかり最後は爆薬と短刀により自決します。

 

元々平八郎先祖は、家康から愛用の弓をプレゼントされるほどに徳川家との関係が深く、そして平八郎自身も与力として働いてきた幕府側の人間であったことから、この幕府への騒動は、日本に強烈な影響を与えます。

強烈な事件を起こした平八郎の罪は簡単に決まる訳もなく、罪が確定するまでの間、塩漬けにされるのでした。

そして自決から1年後、塩漬にされた遺体は磔(はりつけ)にされ、民衆の前へさらされました。

衝撃的な事実でした。

 

まとめ

ということで、
大塩平八郎5分で!身長217cmってガチ?遺体を塩漬けにしてた?でした。

 

大塩平八郎について、かんたんに語るポイントは、

・民衆を救おうと大塩平八郎の乱を起こした
・正義感に溢れ学問も武術も優れた完璧人間
・身長は217㎝近くあり、心も体も大きかった
・遺体の塩漬けは真実だった

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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