織田信長の本当の性格、声が甲高かったってホント?

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織田信長といえば、冷徹、クール、独裁者、恐いなんてイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。

実際の性格はどんなだったのでしょうか。よく例えられるのが、「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」ですが、本当に織田信長の性格はこのような短絡的なものだったのでしょうか?

今回は、織田信長の本当の性格について、エピソードと一緒に紹介していきますよ。

 

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性格は本当に短気で冷血?

短気で冷徹なカリスマとして語られる織田信長ですが、本当にそうだったのでしょうか。

3大武将の個性を表した、有名な句として、

家康「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」
秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」
信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」

がありますね。

 

一般的に、家康は我慢強いタイプ。秀吉は器用に工夫するタイプ。信長は短気で気性がはげしいタイプとされているのも、この句のイメージが関連付けられているのではないでしょうか。

これらはデタラメでもなかったようで、それぞれのエピソードをみても大体そんな感じなことがわかります。

 

しかし信長は、ただ恐くて独裁者だったわけではなく、庶民と一緒に踊ったり、その汗を拭いてあげたりと、まさに“イケてる男”だったわけです。

その恐いながらも、常に家臣や庶民の為を思っている行動から、仲間たちや庶民たちからの信頼はとても厚かったといいます。

まさにカリスマだったのですね。

 

信長のカリスマな偉業については、こちらの記事でわかりやすく紹介しています。

>>>織田信長ってどんな人物?5分で知る偉人!

 

 

性格がわかるエピソード?

そんな威厳はありつつ、庶民を思う信長。

その性格がわかるような、ちょっとしたエピソードを紹介してみます。

 

本当は「がまん強い努力家」だった

まだ少年だった信長は、ふつうのモノより長いやりを作り、新しい戦法を発明しました。

周囲は、「これは信長が天才だからできたのだろう」と思い、そう言っていました。

しかし実際は、信長の計り知れないほどの努力の賜物なのだそう。

食べる時間、寝る時間はもちろん、あらゆるものを犠牲にしてこの研究に力を入れていました。

周囲からは、大うつけ(常識がない)と言われても気にせず、そういった後にこの長い槍戦法を完成させているのです。

少年のときからすでに、凄まじいパワーがあったのですね。

 

 

超ヤンキーだった?

「尾張の大うつけ」とも言われていた信長。大うつけとは、「常識がない」「愚行ばかりする」者のこと。

そのやんちゃなエピソードは少年の時のものから残されています。

 

まず、そのやんちゃぶりに、母は信長を愛そうとせず、弟ばかり愛していました。まさに奇行の連続だったそうです。

・乳児の時は、乳母の乳首を噛み切った。

・殿様の子なのに、上半身裸でチャラチャラした格好で町を練り歩く。

・歩き方もだらしない。柿などを食いながら歩く。

・父の葬儀でも、異様な格好で遅れて登場し、焼香を位牌に投げつけそのまま去る。などなど。

当時は、礼儀正しさが重んじられていたため、本当に周りは「大うつけ」と言うしかなかったようです。

 

 

庶民と凄くフレンドリー

信長が、一般庶民や武士たちと仲が良かったという記録は多く残されています。

上にも書きましたが、元々「尾張の大うつけ」といわれていた信長。殿様の子とは思えないようなラフな格好で町をプラプラしていたのです。

その時から、町のワルたちと並んで歩いたり、相撲などをして遊んでいたようです。

大人になってからも、町の庶民たちと踊ったり、工事をするときには信長自らが現場に姿を表したりなどしました。

身分にこだわらない性格が、とても信頼を集めたのではないでしょうか。

 

 

優しくて温かい、澄んだ心の持ち主だった

いまでいう関ヶ原町山中に「山中の猿」の呼ばれていた男が暮らしていました。

「山中の猿」は体に障害があり、道沿いで物乞いをしながら生きていました。

当時、この道を頻繁に通らなければならなかった信長は、この男を見かけては可哀想な男だと思っていたそうです。

ある時、信長は山中村の人々を集め、木綿20反を「山中の猿」に与えます。

そして「これを金に換えて、この者に小屋を建ててやれ。それから、この者が飢えないように毎年麦や米を施してくれれば、おれはとても嬉しい」と集めた人々に頼んだといいます。

この行動に「山中の猿」だけでなく、その場に居合わせた人々は皆、涙を流しました。

ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスも信長を、「正義感と慈悲に関係あることは喜んで実行する男である。」と、素敵な男っぷりを讃えています。

 

 

のように、学校で習った織田信長だけでは、語りきれない、人間くさい魅力がある人物だったのですね。

その魅力ゆえに、あの「本能寺の変」を仕掛けた明智光秀も、本能寺を襲うときには、中にいるのが織田信長だということを隠して奇襲をかけたとも言われていますよ。

「本能寺の変」については、こちらの記事でわかり易く紹介しています。

>>>本能寺の変を5分でカンタンに!織田信長と明智光秀の関係は?

 

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声が甲高かったってホント?

たびたび注目されるこの説。信長、声が超甲高かった説。

なんかイメージと違いますが、そのように記述されているものがあるようで、本当の事なようですね。

 

その伝説としては、

・500m向こうにいる信長の話し声が聞こえた

・信長が演説をすると、窓ガラスがパンパン割れだす

・信長が鉄砲発射の号令を叫ぶと、鉄砲足軽の耳は一時的に難聴になるが、それによって鉄砲の音が苦でなくなる

もはや都市伝説です。(・∀・)

このエピソードが本当かはわからないですが、声が甲高かったのは本当のようですよ。

 

声のトーンが普段から高い人は、幼児性が強いと判断できるそうです。つまり精神年齢が低いってこと?

さらに、基本的にわがままで、自己中心的なところがある上、短気で興奮しやすいともいえるそうなんですよ。

そうなんですかね。(・∀・)

 

 

まとめ

織田信長は激しくもあり、そして繊細でもあり、積極的な性格すら持っています。

場面によって自分を「演じている」のではないかというぐらいの変わりようが、現代の人々を魅了する部分なのかもしれませんね。

いろいろなエピソードに基づいて信長の性格を考えてみました。考えれば考えるほど常人離れした人、まさにカリスマ。やっぱりかっこよかったですね。

 

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