江戸時代

5分で知る二宮尊徳(二宮金次郎)あの銅像はなぜあんなに有名?

二宮金次郎(にのみやきんじろう)として有名な二宮尊徳(にのみやたかのり)。

実際にどのような人物であったかを知っている方は少ないのではないでしょうか。

今回、二宮尊徳のかんたんな経歴あの銅像はなぜあんなに有名なのか、合わせて紹介していきますよ。

 

二宮尊徳(二宮金次郎)プロフィール

Ninomiya-Sontoku

二宮 尊徳(にのみや たかのり)
出身地:相模国足柄上郡栢山村(現・神奈川県小田原市栢山(かやま))
生誕:1787年9月4日
死没:1856年11月17日
享年:69
時代:江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

宮尊徳は、相模国の栢山村(現在の神奈川県小田原市)に、百姓の長男として生まれました。

父は、養父から田畑と大きな家を受けついでいて、豊かでしたが散財していました。

 

尊徳が5歳の時、南関東をおそった暴風で、村の近くを流れる川の堤が決壊し、尊徳の住む地域が、濁流によって押し流されてしまいました。

その影響で父の田畑は崩壊。家も流失しました。

立て直しをがんばって、田畑は数年で復旧しましたが、借金を抱えて貧乏になってしまいました。

 

1800年に父が死去。

14歳の尊徳は、朝は薪とり、夜は草鞋作りをして、一家四人の生計を立てました。

 

1802年、貧困の中で母が死去。

まだ幼い2人の弟を母の実家に預け、尊徳は祖父の家に身を寄せることとなりました。

しかしこの年にまた川が溢れ、尊徳の土地は水害に襲われてすべて流出してしまいました。

 

1804年、祖父の家を離れ、親族の家に寄宿しながら働き、貯金を貯めていました。

1806年に家に戻り、20歳で家業の復活に尽くしました。

家を修復し、田んぼの一部を買いもどし、田畑を貸し出すなどして、収入の増加を図りました。

復活に成功すると、尊徳は農園経営を行いながら、自身は小田原に出て、武家奉公人として武家に奉公しました。

 

1808年、母の実家が貧窮するとこれを資金援助しました。

その頃、小田原藩で家老(武家の家臣の最高職)をしている服部十郎兵衛が、尊徳に服部家の家政の建て直しを依頼しました。

尊徳は服部家の財務を整理して千両の負債を償却し、余剰金300両を贈ったが、自らは一銭の報酬も受け取りませんでした。

この評判によって小田原で尊徳の名前が知られるようになりました。

 

の後も小田原藩内で多くの家、村々の救済、再興を行い、功績を挙げていきました。

また、1842年には幕府に召し抱えられ、幕府の役人として働きました。

そして1856年、下野国今市村(現在の栃木県日光市)にて死去しました。

 




あの銅像はなんであんなに有名なの?

宮尊徳は、通称名の二宮金次郎として有名ですね。

そして「二宮金次郎像」という銅像を見たことがある人も多いのではないでしょうか。

これですね。(・∀・)

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あの薪を背負って歩きながら本を読んでいる二宮金次郎像です。

あの銅像はなぜあんなに有名なのでしょうか。

 

有名な理由は、「二宮金次郎のように勉強しまくって出世するように、全国の小学校で銅像を置いたから」でしょう。

彼は、借金でどん底だった家や、貧しい人々の救済を勉強、努力によって回復させ成功させてきました。

成功者、勤勉者のモデルとして二宮尊徳をかつぎだしたのです。

これが二宮金次郎像が全国の小学校に設置されることになった最大の理由です。

 

 

まとめ

5分で知る二宮尊徳(二宮金次郎)あの銅像はなんであんなに有名なの?でした。

二宮尊徳についてかんたんに語るポイントは、

・生家が災害によって貧しくなってしまったこと
・二宮尊徳の努力によって生家を再興したこと
・自分の家だけではなく、他家や貧しい村々の救済を行い、功績を挙げたこと
・功績が認められ幕府の役人にまでなったこと
・明治政府の政策によって二宮金次郎像が小学校に建てられるようになったこと
・二宮金次郎像はきっかり1mではないこと

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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りょーま(管理人)
れきし上の人物.comの運営者。「かんたんにわかり易く」をモットーに、歴史が苦手な人向けに、記事を作成しています。難しい話は省いて、通説を元に書いていることをご理解の上、気軽に読んでください。m(__)m
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POSTED COMMENT

  1. 嶺岸高雄 より:

    寸暇を惜しんでの勉学の姿(象徴)であって真似しては危ないこと位
    気がつかない様では愚かと言いたい、今では薪は背負いません。
    現在の歩きスマホは如何に、立ち姿が危険であれば、腰掛け姿では如何でしょうか.金次郎像の復活を希望する者です。

  2. キング より:

    いいねず

  3. キング より:

    いいね

  4. 小山田泰隆 より:

    お疲れ様でした。言われる方はほんの四方山知識の一つ位でしょうが、そのような方には三戸岡道夫著・二宮金次郎の一生、報徳記・富岡高慶著の二冊を自腹で求めて読むべしといって欲しかったと思いました。歩き読みの本は大方大学と論語ではないかと言われいます。この二冊の中にはそれらを援用したと思うところが見受けられますから。金治郎像はその意味が大きいと思います。いまは交通事情は許さないと思いますが。

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