中大兄皇子(天智天皇)を5分で!中臣鎌足との関係、大化の改新って?

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)といえば、のちの天智天皇(てんじ天皇)ですね。

やたらと印象深い名前ですが、何をしてどんな人物だったのでしょうか。

今回、中臣鎌足との関係、そして大化の改新について、カンタンに紹介していきますよ。

 

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中大兄皇子(天智天皇)、プロフィール

 

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中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
のちの天智天皇(てんじてんのう)

出身地:大和(現在の奈良県)
生誕:626年
死没:672年1月7日
享年:46歳
時代:飛鳥時代

 

中大兄皇子(天智天皇)って何した人?どんな人?

中大兄皇子は、大化の改新を主導した人物です。

蘇我入鹿を殺害して「大化の改新」と言われるようになる政治を実行したのです。

中大兄皇子の経歴を紹介していきますよ。

 

中大兄皇子(天智天皇)、の経歴

徳太子が死ぬと、聖徳太子の築いた天皇中心の政治が、くずれはじめていきます。

蘇我馬子(そがのうまこ)が聖徳太子の政治をたすけていたため、その息子・蘇我蝦夷(そがのえみし)と孫・蘇我入鹿(そがのいるか)が自動的に「大臣」という高い位につき、権力をにぎったのです。

蘇我入鹿は、舒明天皇(じょめい天皇)をないがしろにし、あたかも自分が天皇であるかのように、好き勝手にふるまっていました。

これは許せないと、立ち上がったのが、舒明天皇の子・中大兄皇子でした。

 

中臣鎌足と慎重に計画を練った中大兄皇子は、645年6月12日、皇居での儀式で入鹿を殺害します。

その事実を知った蘇我蝦夷を自殺に追い込み、蘇我氏をほろぼしたのです。

 

 

して唐(中国)の政治制度を取り入れ、天皇中心のいろいろな改革をおこないました。

このとき日本で初めての元号「大化」を使ったことにちなんで、中大兄皇子の政治改革は、「大化の改新」とよばれているのです。

元号とは、「平成」とか「昭和」とか「大正」とかのことですね。

 

そのころ朝鮮半島では、唐・新羅(とう・しらぎ)の連合軍に、日本と仲のよかった百済(くだら)がほろぼされました。

中大兄皇子は、唐・新羅連合軍をたおすため、大軍を送りこんだが、大敗します。(白村江の戦い)

中大兄皇子は、唐や新羅の力はハンパではないと感じ、その後は九州などの守りを固めます。

 

そののち、中大兄皇子は、都を近江大津宮(現在の滋賀県)にうつし、38代天智天皇として位についたのです。

天智天皇の即位は663年、亡くなった年は671年。

天智天皇として、天皇でいたのは短いですが、その前から中大兄皇子として政治の中心にいました。

中大兄皇子(天智天皇)は、この時代の超重要人物なのです。

 

大化の改新について、蘇我入鹿(そがのいるか)について、こちらの記事でカンタンにわかり易く紹介しています。

>>>大化の改新ってなんぞや?カンタンにわかり易く紹介

>>>蘇我入鹿を5分で!ガチで聖徳太子と同一人物?中大兄皇子に暗殺された理由?

 

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中臣鎌足との関係は?

臣鎌足と中大兄皇子の関係について。

これは、カンタンに言うと戦友とでもいいましょうか。

中臣鎌足は、蘇我入鹿たちのことを「危険」だとおもっていました。

そこで、「若いけど気合が入っている凄い人」とウワサの中大兄皇子に協力してもらおうと考えました。

しかし、中臣鎌足とって中大兄皇子は格上。話すチャンスがないのです。

 

そんなふたりの出会いのきっかけは蹴鞠(けまり)。

けまりをしていた中大兄皇子は、履物がぬげて飛んでいってしまったんですね。

それを中臣鎌足は拾い上げて、丁寧に差し出したというもの。

そのときに中臣鎌足は、チャンスだと思って話しかけたのだといいます。

中大兄皇子も蘇我入鹿たちのことをよく思っていなかったですから、自然と一致団結。

中大兄皇子からみて、中臣鎌足は部下でありながら、戦友であり、親友。とても信頼があついのです。

 

 

大兄皇子が采女(うねめ)として気に入っていた、とても美しい女性がいました。

采女というのは、ただの使用人ではなく、天皇が気に入ったら側室にするレベルの女性です。

本当はだれもが指一本触れてはいけない相手です。

でも、鎌足が彼女を欲したと知った天智天皇は、咎めもせずに彼女を与えています。

鎌足は本当に特別な存在だったのです。

 

 

気で倒れた中臣鎌足を、天智天皇(中大兄皇子)がお見舞いに行ったとき。

中臣鎌足に、最高の位である「大織冠(だいしょくかん)」と、「藤原」の姓をあたえました。

この翌日、中臣鎌足は病気で死にます。

のちの平安時代、つよい権力をもつようになる「藤原氏」は、中臣鎌足の子孫なのです。

 

中臣鎌足(なかとみのかまたり)について、こちらの記事でカンタンにわかり易く紹介しています。

>>>中臣鎌足を5分で!ミイラの場所や渡来人って?子孫は現代まで続いている?

 

まとめ

中大兄皇子(天智天皇)がどんな人物だったのか、中臣鎌足との関係、大化の改新について紹介しました。

中臣鎌足との関係はほんとうに強い信頼関係なのですね。そのエピソードは本当にいい話です。

 

ということで、中大兄皇子(天智天皇)をカンタンに語るポイントは、

・友である中臣鎌足と、蘇我氏をほろぼした!

・「大化の改新」で、「平成」とか「昭和」とかの元号を使いだした!

・中大兄皇子は、天智天皇として天皇になった!

 

こんな感じでどうでしょう。(・∀・)

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