江戸時代

宮本武蔵とはどんな人物?五輪書や身長180cm説について

宮本武蔵といえば、めちゃくちゃ強い兵法家として有名ですね。漫画「バガボンド」などでも有名でしょう。

佐々木小次郎との「巌流島の戦い」なども有名ですが、武蔵はどのような人物だったのでしょうか。

今回、宮本武蔵とはどんな人物だったのかエピソードや五輪書についても紹介していきますよ。

 

宮本武蔵、プロフィール

Miyamoto_Musashi_Self-Portrait

宮本武蔵(みやもとむさし)
生誕:天正12年(1584年)
死没:正保2年5月19日(1645年6月13日)
父:新免無二
養子:三木之助、伊織
時代:江戸時代初期
兵法家

何をした?偉業は?

宮本武蔵の偉業といえば、めちゃくちゃ強かった事そのものなのでしょう。天下無双ともいわれますよね。

強い強いとは聞いても、どのくらい強かったのでしょうか。

ここでは宮本武蔵がした事、偉業などを紹介してみます。

 

1,五輪書(ごりんのしょ)という兵法書をかいた

五輪書といえば超有名ですね。自分の兵法の極意をかいた本のこと。

書名は、世界を構成している五大「地・水・火・風・空」を由来としていて、それぞれになぞって5巻に分かれています。

地の巻

武蔵の生涯、兵法について書かれている。「まっすぐな道を地面に書く」ということになぞらえて、「地の巻」とされている。

水の巻

心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関することが書かれている。水を手本とする剣さばき、体さばきを例えて、「水の巻」とされている。

火の巻

戦いのことについて書かれている。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いにおいての心構えなどが書かれている。戦いのことを火の勢いに見立て、「火の巻」とされている。

風の巻

他の流派について書かれている。「風」というのは、昔風、今風、それぞれの家風などのこととされている。

空の巻

兵法の本質としての「空」について書かれている。

「オリンピック」のことをよく「五輪」と書きますが、これはこの五輪書からとったもの。記者の間で、文字数が減らせるとして流行りだしたそうです。

武蔵が書いた原本は、焼失しています。

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2,最強の剣豪だった?

武蔵はよく最強の剣豪だったと言われていますね。ではどのくらい強かったのでしょうか。

強さを「対戦回数」で測ることがあります。

武蔵の著書、五輪書では、「20代の間で60数回戦った」との記述があります。

単純計算で平均、2ヶ月に1回戦っていたことになります。これはけっこうなハイペースなのです。

そして武蔵は「負けたことがない」とのこと。

 

実は武蔵は対戦を挑むことは全然なくて、ほぼ挑戦される側だったのです。

「宮本武蔵っちゅうヤツがいて、めっちゃ強いらしいぞ」

「聞いたことがある。木剣がかすりもしないらしいな」

「おまえ挑んでこいよ」

「よし。わかった。」

ってな感じで、噂が噂を呼び、最強説が完成されていった感じでしょう。

 

伝説として、吉岡一門70人と戦い勝ったとして語られることがありますが、これは諸説あるようで、多くの史料には、それらの事実は記されていないのです。

ドラマや小説、漫画などの宮本武蔵は、かなり虚構が入っているようですね。

 

3,養子の伊織を小笠原家の家老に育て上げた

これが1番特筆すべきなのかもしれません。

武蔵は養子である伊織を小笠原家の家老に育て上げました。

伊織自身の家柄もそれなりで才能があったのですが、それでも大名の家老にまで上り詰めることができたのは養父・武蔵の存在あってのものなのです。

 

4,死因は病死

剣豪の宮本武蔵の死因ですが、意外なことに(?)病死です。

60と数年生き、最後は寿命で亡くなっています。五輪書を書き終えてガンが悪化したと言われていますね。




人物エピソード

絵・宮本武蔵

 

強いらしい宮本武蔵ですが、どんな性格だったのでしょう。最強というからには傲慢で偉そうだったのでしょうか。

宮本武蔵の人物像がわかるようなエピソードを紹介していきます。

 

1,身長は180cmほどあった

武蔵は身長が高く大男だったことで有名ですね。史料にも、6尺あったと書かれています。(1尺=30.3cm)

当時の時代、男の平均身長が155~158cm。武蔵の180cmはかなり高かったのですね。

 

2,卑怯者だった?

実はけっこう言われていますね。「宮本武蔵は卑怯だ」というもの。

これは、武蔵の戦いの哲学に関係しています。

やはり侍日本人は、美しく戦い美しく負けるという美学があるようです。

でも武蔵はそんな美学はもっていないで、大袈裟にいえば「勝たなければダメ。どんな手を使っても勝つ。死人に口なし。」のような哲学があったのでしょう。

それで、現代で一部の人が「武蔵は卑怯だ」と言っているのです。

 

また有名な「巌流島の戦い」で、佐々木小次郎との決闘の時間にかなり遅刻していったという説があります。

冷静さ、集中力がなくなったところを武蔵は一気に討ち取るといったもの。

しかし、実はこの説はデマ(嘘)だと言われていますが、「武蔵は卑怯だ」という人たちがいるという背景には、こういった噂が広まっている事もあるでしょう。

 

「巌流島の戦い」については、。こちらの記事でわかり易くいろいろな説を紹介しています。

>>>巌流島の戦いのいろんな説を簡単にわかり易く紹介、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い

 

武蔵は自身でも「兵法家」と称しています。「侍、剣士」というよりも、「兵法家」なのですね。

そうであれば別に卑怯でもなんでもなく、兵法としてやっぱり賞賛できるのです。

 

3,絵がめっちゃ上手い!

武蔵は水墨画をよく描いていたことも有名です。そしてかなり上手いのです。

現在で重要文化財に指定されているものもあるのですよ。

 

武蔵の水墨画はこんな感じ。

Kobokumeigekizu reading_memo_16-5

 

上手いですね。(・∀・)

絵には心が映るものです。実は、とても繊細な心の持ち主だったのかもしれません。

 

まとめ

宮本武蔵の偉業や五輪書、身長180cmについてや人物エピソードについて紹介しました。

卑怯といわれる武蔵ですが、「兵法家・宮本武蔵」としてみると卑怯でもなんでもないのですね。そういう戦術なのですから。

水墨画も有名ですが、絵には心が映りますから、素敵な心の持ち主だったこともわかりますね!

 

ということで、
宮本武蔵とはどんな人物?五輪書や身長180cm説についてでした。

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

 

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POSTED COMMENT

  1. 佐々木 より:

    ほう、見事な経歴だ
    しかし俺の方が輝いてるな!
    この老いぼれクソジジイが!!
    ぶっ殺すぞ!

  2. 宮本 より:

    ふむ、俺は強い

  3. 通りすがり より:

    豊臣秀頼は198cm
    大塩平八郎は217cm
    あったそうです。

  4. 通りすがり より:

    豊臣秀頼は198cm
    大塩平八郎は217cm
    あったそうです。

  5. 小鳥枝 より:

    身長180センチで、絵が上手い!?
    …それって、葛飾北斎もそうでしたよね?
    まさか、武蔵は北斎!?
    と思いましたが、同じ江戸期でも、二人は時期が違いますよね(^_^;)
    でも、ちょっとロマンだなぁと思いました。

  6. mccamiya より:

    今、「宮本武蔵」(津本陽:著、文春文庫1989年)を読んでます。
    面白いことに「空手バカ一代」(原作:梶原一騎)と似ていることです。武蔵は幼少 両親は作州(岡山県)宮本村に住み、後妻(義母)の播州(兵庫県)平福村に3歳まで育てられたと記されています。つじつまの合わない伝記を解決しようと試みたと思います。しかし吉川英治:著では幼馴染として又八・お通を創造登場させたのに対し、弥蔵・お千が出てきます(笑)。そして故:大山倍達総裁は日本人なりたいため戦後、日本に来ました。故:大山茂先生のお兄さんだったレスラーの書生になり「大山姓」を名のり米国で活躍しました。総裁の後を追ってた一番弟子は俳優になり破門され、暴力団とつながっていた未成年の弟子が交通事故で死んでしまいました。その二人を「有明省吾」と故:梶原先生は作り上げたのです。大袈裟に作り上げないような人物伝記を教えてほしいです。

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