冒険家・マルコ・ポーロを5分で!実は中国に行ってないって?

マルコ・ポーロと言えば、日本を「黄金の国ジパング」と広めてくれた冒険家です。

東方見聞録を口述し、大航海時代の始まりを作った人とも言われており、日本の歴史はもちろん世界の歴史にも大きな影響を与えた人物です。

今回、マルコ・ポーロのかんたんな経歴実は中国に行ってない?について紹介していきますよ。

 

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マルコ・ポーロ、プロフィール

名前:マルコ・ポーロ(まるこ・ぽーろ)
出身地:ヴェネツィア共和国(現・イタリア)
生誕:1254年9月15日
死没: 1324年1月8日
享年:70歳(病死)
時代:鎌倉時代

 

かんたんな経歴、何した人、どんな人?

ルコ・ポーロは、1254年に現在のイタリアであるヴェネツィア共和国の商人の家に生まれました。

父親のニッコロー・ポーロは中東貿易で大成功を治めており、とてもリッチな家庭に育ちます。

 

時のヴェネツィア共和国は、東のアジア諸国と西のヨーロッパ諸国との貿易拠点に位置し、盛んに貿易が行われた海洋国家でした。

貿易で取引された商品は、絹や胡椒を中心にオリーブオイルやワインそしてインディゴ(染料)などの現在と変わらないようなたくさんの品々がありました。

幼い頃より父の話に耳を傾けていたマルコ・ポーロは、成長と共に異国への魅力を感じながら自身も父の跡を継ぎ商人になります。

 

1271年、17歳の青年となったマルコ・ポーロは、父や叔父そして兄たちと更なる商売拡大に向けて貿易品や貿易国を増やすために東アジアを目指して旅に出発しました。

マルコ・ポーロ一行が24年の長期間に及ぶ旅になった理由は、なんと17年もの間フビライ・ハン率いるモンゴルに滞在していたからなのです。

 

ちょうどその頃フビライ・ハンは、ようやく南宋(中国の王朝)を支配下に置くことができ、中国全土を治めて首都を北京(中国の首都)にうつし、国の名前を「元(げん)」に改めたときで、ノリに乗っていた時期でした。

更なる領土拡大のために、マルコ・ポーロからの情報は大変貴重なものであり、政府の重要人物として特別な待遇での滞在でした。

フビライ・ハンはマルコ・ポーロから主にヨーロッパの国々の法律や政治体制を中心に宗教に至るまで、幅広い内容を質問したとされています。

 

またこの際に、日本は金が溢れている国であること、海を隔てているので日本に行く商人が居ないことなどを、旅の途中で知り得た情報をフビライ・ハンに伝えたことで、2度の日本侵攻が実行されたのです。

24年の旅を終えて、マルコ・ポーロが持ち帰った主な物は、陶磁器や方位磁石があり、この方位磁石が後の羅針盤へと進化することとなり世界に大航海時代が訪れました。

 

ェネツィアに戻ったマルコ・ポーロを待っていたものは敵国であった、ジェノバ(現・イタリア)との戦争でした。

兵士を志願し活躍するもすぐにジェノバに捕らわれてしまい、収監中に旅の詳細を口述したのです。

マルコ・ポーロの話した内容を書き上げてくれたのが、同じく捕らわれの身の小説家・ルスティケロ・ダ・ピサでした。

これが「東方見聞録」として世に知られる事となる全行程15,000kmで24年間の壮大な旅の記録です。

この「東方見聞録」で日本を「黄金の国ジパング」と世界中にアピールしてくれました。

 

700年以上の時を経ても、日本が世界中から黄金の国と称されるのはマルコ・ポーロのお陰です。

釈放後は、幸せな結婚をして3人の娘に恵まれました。

商人としても成功を治め最期は病気により70年の生涯を閉じました。

 

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実は中国に行ってないって?

大な旅を続けていたマルコ・ポーロですが、実は存在否定説や中国に行ってない?などの疑惑が浮上しているのです。

その大きな理由としては、17年の長きにわたって仕えたモンゴルのフビライ・ハンの関連の史料に、マルコ・ポーロの名前が一切載っていないからと考えられます。

フビライ・ハンに誠心誠意尽くしたのに、名前の一つも載ってないなんて寂しくも悲しくもありますが、マルコ・ポーロの存在が記録されていない理由がありました。

それは、世界征服を目指していたフビライ・ハンが、公的な文書に国外の人物であるマルコ・ポーロを尊敬し重んじていたなんて記録を残すわけにはいかなかったからとされているからなのです。

 

世界征服を目指しているだけあって、プライドも相当高かったと思われます。

やっぱり中国には本当に行っていたと思われます。

 

まとめ

もしマルコ・ポーロがもし旅に出ていなかったら、フビライ・ハンに日本の魅力が伝わらずに、元寇からの攻撃は免れたかも知れません。

しかし国防という点でかなり出遅れてしまっていたに違いないでしょう。

そして東方見聞録で日本を知ったヨーロッパの人によって伝えられた鉄砲があったお陰で、日本の戦国の世は短期間で終わり太平の世の到来が早まったとも言われています。

旅に出たマルコ・ポーロはもちろんですが、24年の長期間にわたる旅の内容をまとめてくれた、小説家のルスティケロ・ダ・ピサにも感謝したいものです。

日本には来ていないのに、日本のことを良く評価してくれたマルコ・ポーロには国家レベルで多大な敬意を表したいものです。

 

ということで、
冒険家・マルコ・ポーロを5分で!実は中国に行ってないって?でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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