5分で黒田清輝について!代表作品や偉業、その人生は?

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黒田清輝(くろだせいき)といえば、画家ですね。

日本洋画界のボスとして、日本美術を近代化へ導き「近代洋画の父」と呼ばれたすごい人です。

今回、黒田清輝のかんたんな経歴代表作品はどんなものがある?について、紹介していきますよ。

 

黒田清輝、プロフィール

名前:黒田清輝(くろだせいき)
出身地:薩摩国(現・鹿児島県)
生誕:1866年8月9日
死没:1924年7月15日
享年:57歳(尿毒症)
時代:江戸時代-明治時代-大正時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

田清輝は、薩摩藩士の父・黒田清兼と、母・八重子の長男として、薩摩国鹿児島城下(現・鹿児島県鹿児島)に生まれました。

幼名は新太郎といい、その後に清輝(きよてる)に改めました。

画名は同じ漢字で清輝(せいき)ですね。

 

歳のころに、養子となり、伯父の清綱と貞子夫妻に育てられることになりました。

清輝が育った家は、7000坪の敷地内にあり、庭の池で泳いだり滝に打たれたりとゴージャスな少年時代を過ごしました。

卒業後は漢学塾二松學舍(現・二松學舍大学)に通い、ここで鉛筆画や水彩画に出会います。

が、この段階では、法律家を目指し、勉強にはげみます。

 

地英学校で英語を勉強し、17歳で東京外国語学校の二年生に編入学しフランス語を学びます。

フランス語を学んだ理由は、当時、明治政府はフランスを法律システムのモデル国にしていました。

だから、法律を勉強する人はフランス語が必須科目だったのです。

 

8歳、法律家を目指す清輝にとって、またとない絶好のチャンスが訪れます。

義兄の橋口直右衛門が、フランス公使館で働くことになったのです。

清輝はもちろん、それと一緒にフランスのパリへ行くことにしました。

 

この時に、趣味の絵を楽しめるようにと養母から水彩画セットをプレゼントされました。

それほどに絵が得意で、清輝の書く手紙には必ず絵が添えてあったそうです。

 

0歳、フランスの大学で法律を学ぶ日々を送っていた清輝。

ある日、パリに住む日本人が集まるパーティーに参加しました。

そのパーティーで、画家の山本芳翠(やまもとほうすい)や、画家の藤雅三(ふじまさぞう)、浮世絵の輸出ビジネスをしていた林忠正(はやしただまさ)に出会いました。

そしてみんなに画の才能を惚れ込まれ、日本美術界のためにも画家になることを強く薦められたのです。

 

すぐにフランス人画家のラファエル・コランの元で絵の勉強を始めますが、画家になることを養父から反対されてしまいます。

そこで画家と法律家の二つの勉強を続けます。

が、ついに養父の反対を押しきり、1887年に画家になる決意をしました。21歳の夏でした。

 

輝の才能はすぐに開花し、1891年に「読書」、1893年に「朝妝(ちょうしょう)」がフランスの展覧会で入賞します。

9年間フランスで過ごし、日本に帰国すると、山本芳翠から美術学校を譲りうけました。

この学校を、洋画家・久米桂一郎と、「天真道場」と名を改め、美術教師として活躍しました。

名画を生み出しながら外光派(フランス絵画の一派)を作り上げました。

 

1898年に、東京美術学校の教授に就任。

1900年に展覧会に出品した「裸体婦人像」が論争をよびます。(後述)

1910年に、宮内省から優秀な人だけが表彰される「帝室技芸員(ていしつぎげいいん)」に洋画家として初めて選ばれました。

 

さらに、帝国美術院院長を務め、日本の美術界に大きく貢献しました。

また養父の跡を継ぎ、子爵としてまた貴族院議員としても活躍したことから、美術行政家とも呼ばれてます。

1920年、尿毒症により57歳でこの世を去りました。

 

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代表作品はどんなものがある?

表作品にはどんなものがあるのでしょうか。

ちょっと紹介してみましょう。

 

・「裸体婦人像」

画像・「裸体婦人像」

こちらは論争が巻き起こったほど有名な作品ですね。

タイトルのとおり、裸の女性の画です。

なのですが、これを警察が「風紀を乱す」として、腰から下を布でおおってしまいました。

これは「腰巻事件」といわれています。

 

・「読書」1890~1891年

フランス留学時代の初期の作品。

当時付き合っていた女性・マリアをモデルに描かれました。

特に光採描写が優れているとされています。

 

・「湖畔」1897年

国の重要文化財にも指定されている作品です。

モデルとなった女性は、後に妻となった金田種子(後の照子)です。

箱根の芦ノ湖を背景に、日本の暑い夏の様子が描かれています。

 

・「智・感・情」 1897~1899年

画像・「智・感・情」

1900年のパリ万博に「裸婦習作」として出品し、銀賞をとった作品です。

小川花と幸の二人の姉妹をモデルに描かれ、「智」は理想(Ideal)、「感」は印象(Impression)、「情」は写実(Real)のニュアンスが込められた作品です。

 

田清輝は、日本美術界に、「芸術」か「わいせつ」かの大きなテーマを投げかけました。

現代の私たちがみると、やっぱりふつーに芸術だと感じます。

これも時代なのか。黒田清輝の功績なのでしょうね。

 

まとめ

ということで、
5分で黒田清輝について!代表作品や偉業、その人生は?でした。

 

黒田清輝をかんたんに語るポイントは、

・「近代洋画の父」と呼ばれ日本美術界を大きくリードした

・芸術かわいせつか大きなテーマをなげ掛けた

・画家、美術教師、美術行政家としても大活躍した

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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