石川啄木を5分で!女遊びで借金まみれ?代表作品は?

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石川啄木(いしかわたくぼく)といえば、詩人ですね。

天才といわれた明治時代の詩人ですが、最近また注目され、「ダメ人間」としての評価が高まっています。(・∀・)

今回、石川啄木のかんたんな経歴女遊びで借金まみれ?について代表作品は?について、紹介していきますよ。

 

石川啄木、プロフィール

名前:石川 啄木(いしかわ たくぼく)
出身地:岩手県南岩手郡日戸村(現:岩手県盛岡市日戸)
生誕:1886年2月20日
死没:1912年4月13日
享年:26歳(肺結核)
時代:明治時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

川啄木(いしかわたくぼく)は、現在の岩手県盛岡市である、盛岡岩手県南岩手群に、長男として生まれました。

父は石川一禎(いってい)、母はカツです。

啄木は、ふつうより1年早い、5歳で小学校に入学します。

 

すると、成績はいつもトップクラスで、とても頭のよい子に育ちます。

小学校も首席で卒業し、12歳で盛岡尋常中学校(現在の盛岡一高)に入ります。

 

ここで、啄木にとってキーマンとなる大親友、後に言語学者になる、金田一京助(きんだいちきょうすけ)に出会います。

そして後に妻になる、堀合節子とも出会いました。

 

金田一京助から、文学の面白さを教わると、すぐに文学青年となります。

また、節子との淡い初恋に夢中にもなります。

文芸雑誌「明星」を愛読し、与謝野晶子の大ファンになった啄木は、「将来は文学家になりたい!」と、夢を抱きました。

 

6歳の啄木は、短歌や評論を発表し始め、文学と恋愛にどっぷりとハマります。

授業をサボって欠席が目立ち、挙句の果てにテスト中連続2回のカンニングがバレたことで、自主退学へと追い込まれました。

そしてプロの文学家を目指すべく、与謝野晶子を訪ねて上京します。

が、なかなか就職先が見つからないために下宿代が払えずに、また結核を患ってしまい、わずか半年で泣く泣く岩手へ帰ります。

上手く行かずに傷ついた啄木の心は、初恋相手の節子に癒やされます。

 

の後17歳で、雑誌「明星」で短歌を発表すると、文学界から注目を浴びます。

19歳、デビュー作の「あこがれ」を発表し、天才詩人と言われました。

そして、ついに長年の恋を実らせ節子と結婚します。

 

が、その結婚式をドタキャン。

そのせいで、新郎不在で、節子と親族だけという奇妙な結婚式が行われました。

 

家の大黒柱となった啄木は、文学家としてだけは食べていけずに、小学校のアルバイト教師として働きます。

しかし、父・一禎のリストラなどもあり、石川家は常に貧困状態が続いていました。

しばらく貧困ながらも穏やかに暮らしていましたが、啄木は新しい環境を求め、北海道へ行きます。

妻・節子は盛岡の実家へ、母・カツは盛岡に残り、妹は知人へ預けて、家族離ればなれの生活が始まりました。

 

北海道では、商工会議所やアルバイト教師、そして新聞社と職を転々とします。

が、どれも長続きせずに、函館・札幌・釧路などを渡り歩きました。

なかでも、函館時代に知り合った歌人・宮崎郁雨(みやざきいくう)は、啄木を心身ともに支え続け、家族を北海道に呼び寄せる資金援助をしてくれました。

 

2歳、どうしても文学家として成功したい啄木は、家族を宮崎郁雨に預け上京します。

上京後は、中学時代からの大親友の金田一京助を頼りながら、いくつも小説を書きました。

しかし、評価されない苦悩の日々で、絶望のどん底を味わいながら、生活のために朝日新聞社の校正係として働きはじめます。

 

このころ、離れて暮らしていた節子に日記を読まれては困るからと、日記をローマ字で書きました。

借金、酒、女と、相当乱れた生活だったそうですね。(・∀・)(後述)

ちなみに、妻・節子は、ピアノもバイオリンも嗜む、育ちの良いお嬢様。

啄木の予想を反し、ローマ字くらい読めたのでは?といわれています。

 

で、宮崎郁雨の世話になったままで、肩身が狭いという家族を北海道から呼び寄せて、妻と子、そして父母と暮らしますが、相変わらずの貧困生活が続きました。

1910年、「一握の砂」を出版し、ようやくプロの文学家としてわずかな収入を得ます。

しかし、生まれたばかりの長男が亡くなってしまうという不幸が襲います。

啄木は1日でも早く貧乏生活に別れを告げようと夜も働きますが、なかなか暮らしぶりがよくならず、社会主義思想を抱くようになりました。

 

1911年12月、啄木は肺結核を患い、思うように働くことが出来なくなります。

新年を迎えるも、結核による発熱が続き、これまで書いていた日記も思うように書けない日々が続きました。

3月に母が結核で亡くなると、後を追うように1か月後、26歳で啄木も亡くなりました。

 

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有名な代表作品は?

名な代表作品はどんなものがあるのでしょうか。

石川啄木の作品は、短歌の「五・七・五・七・七」ではなく「三行書き」のスタイルで、詩のようなイメージを持たせた口語体の表現が特徴的です。

また描かれるテーマが貧困生活や故郷への想い、そして母への愛情が溢れ出ていることが人気の一つとなっています。

ちょっと紹介してみます。

 

『一握の砂(いちあくのすな)』1910年出版

全部で551首が収められ5部構成となっている啄木の処女作品で、特に次の短歌が有名です。

「はたらけど はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」

「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」

「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

 

『悲しき玩具』1912年出版

次々と襲い掛かるトラブルに、ショックを隠さずに詠んだ、194首の歌と2つのエッセイが収められています。

この二つの歌は結核を患い闘病中に作られた、啄木の最期の2首といわれています。

「呼吸(いき)すれば 胸の中にて鳴る音あり 凩(こがらし)よりも さびしきその音」

「眼閉づれど 心にうかぶ何もなし さびしくもまた眼をあけるかな」

 

『雲は天才である』1919年出版「啄木全集第一巻小説編」に収録

啄木の処女小説。

自身の熱血教師時代の頃、そして大親友とのエピソードをテーマに、教育の理想像が描かれた強烈なインパクトを抱くとされる作品です。

 

のように、なんとも情緒のある詩ですよね。

現代でも人気があるというのが納得できてしまいます。

 

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女遊びで借金まみれってほんと?

「ダメ人間」説について。

どうやら、女遊びで借金まみれだったという説があるようですね。

ちょっとみてみましょう。

 

啄木は、家族と離れて生活しているときにローマ字で日記を書いていたのです。

これは、自分の乱れた生活っぷりを、妻の節子に知られないようにということです。

その「ローマ字日記」に、彼のけっこうなダメ人間っぷりが綴られていたということなのです。

 

内容は、給与の前借りや、知り合いからお金を借りて女と遊ぶために吉原へと通ったこと、どうやって会社をサボるか?などが書かれています。

特に、大親友の金田一京助は、自分の持ち物を質屋に入れてまで啄木へお金を貸していました。

他にも約60人から借金をしていて、その総額は1372円。

現在の価値にすると1400万円くらいとされています。

その借金を全額踏み倒し、全てが女遊びとアルコールへと消えたのだそう。

 

1909年4月10日のローマ字日記の一部内容はこちらです。

「いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った。

予は去年の秋から今までに、およそ十三、四回も行った。

そして十人ばかりの淫売婦を買った。

ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ…名を忘れたのもある。

予の求めたのは暖かい、柔らかい、真っ白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。」

 

4月15日の潔い日記はこちらです。

「予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。

他の女と寝てみたいと思ったこともある。

現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。

そして予は寝た――他の女と寝た。

しかしそれは節子と何の関係がある?

予は節子に不満足だったのではない。

人の欲望が単一でないだけだ。」

 

だめですね。(・∀・)

 

でも、こんな生活っぷりでも、妻へ対する想いと、啄木の人懐っこさ、憎まれにくい性格がみえるのがこちらの詩。

「友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」(一握の砂)

自分の甘さや弱さを平然と人前に晒けだせる人間性が、啄木の最大の魅力なのかも知れません。

 

のローマ字日記は、啄木が亡くなる数日前に妻・節子へ燃やして処分するように伝えました。

が、節子は啄木への愛着から捨てることが出来ずに、大親友の金田一京助に託したのです。

その結果、ダメ人間・啄木の姿が、後世に発覚することになってしまったのです。

ちなみに、妻の節子はお嬢様育ちだったことから、ローマ字くらい読めたのでは?と言われているそうです。(・∀・)

 

まとめ

ということで、
石川啄木を5分で!女遊びで借金まみれ?代表作品は?でした。

 

石川啄木をかんたんに語るポイントは、

・望郷と漂白の天才といわれた明治時代の詩人

・結婚式をドタキャンし、女遊びに明け暮れて借金だらけのダメ人間だった

・貧困生活でも一途に文学家の夢を追い続けた

・代表作品は、551首の歌集「一握の砂」

・「ローマ字日記」は、あまりにも衝撃的で赤裸々過ぎた

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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