犬養毅を5分で!死ぬ前の「話せばわかる」とは?暗殺された?

犬養毅(いぬかいつよし)といえば、政治家ですね。教科書に絶対でてくる人物です。

軍部の暴走を阻止しようと正義をつらぬき、五・一五事件で暗殺されました。

今回、犬養毅のかんたんな経歴死ぬ前の「話せばわかる」とは?暗殺された?について、紹介していきますよ。

 

スポンサーリンク

犬養毅、プロフィール

名前:犬養 毅(いぬかい つよし)
出身地:備中国賀陽郡川入村(現・岡山県岡山市)
生誕:1855年6月4日
死没:1932年5月15日
享年:76歳(暗殺)
時代:江戸時代-明治時代-大正時代-昭和時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

養毅(いぬかいつよし)は、現在の岡山県岡山市である備中国(びっちゅうのくに)の川入村に生まれました。

父・犬飼源左衛門(後に犬養へ改性)は、村の役人を務めるエリート郷士でしたが、毅が2歳の頃にコレラにより急死します。

郷士とは下級武士に位置しながら、村役人や商人そして農民などを兼業し、苗字を名乗れる身分です。

地方郷士という家に生まれながら、父の居ない犬養家の暮らしは苦しい生活でした。

が、漢籍(漢文で書かれた学問)を学んだり、庭瀬藩ではだれにも負けないようにがんばりました。

 

1歳、毅はヨーロッパ留学出来るほどの学力を持ち合わせていました。

しかし、経済的に困難だったために、親戚や知人からの資金援助を受けて上京し、慶應義塾に入学しました。

得意科目は漢文や英語で、福沢諭吉が認めるほどに優秀な成績でした。

 

郵便報知新聞社(現・報知新聞)の記者・藤田茂吉が、入学時の保証人だった関係で、在学中から新聞の原稿を書きアルバイトを始めていました。

翌年の西南戦争では従軍記者として九州へ行き「戦地直報」を書いて活躍し人気を得ます。

 

5歳、毅が書く記事はめっちゃ人気でした。

ついに慶應義塾を中退し、東海社を作り、記者として「東海経済新報」を発刊しました。

 

その後、福沢諭吉のバックアップを受けて統計院(現・統計局)の役人となります。

しかし大隈重信(おおくましげのぶ)が、政界を追われると一緒に役人を辞めました。

そして大隈率いる立憲改新党のメンバーとなり、自由民権運動である大同団結運動で活躍します。

薩摩・長州出身メンバーによる政治体制を強く批判したりしました。

 

1890年、35歳、帝国議会開設によって第1回衆議院議員総選挙が行われると、岡山3区から立候補します。

そして見事初当選を果たします。

ここから、憲政の父と呼ばれた尾崎行雄(おざきゆきお)に継ぐ、18回連続当選で、42年間の議員生活が始まりました。

 

第1次大隈内閣で、尾崎行雄が共和演説事件で辞任すると後任の文部大臣に就任しました。

明治から大正に代わる時代で、立憲政治を貫く護憲運動で活躍しました。

尾崎とともに「憲政の神様」と呼ばれ、大正デモクラシー(民主主義思想の運動)を盛り上げます。

 

1923年、68歳、第2次山本内閣、加藤内閣で通信大臣を務め、普通選挙法を確立させました。

普通選挙法が公布されると自身の役目は終ったと政界から去りましたが、毅の熱烈な支持者が引退を認めずに、選挙で当選させ続けました。

 

そして1929年、立憲政友会の総裁となり政治の表舞台へと戻って来ました。

その頃、アメリカの株価暴落をきっかけに世界恐慌そして満州事変が起こり、当時の第2次若槻内閣は総辞職へ追い込まれました。

 

で、1931年12月。76歳で第29代内閣総理大臣となり犬養内閣がスタートします。

中国との戦争終結と世界恐々による不況対策を積極的に進めました。

しかし軍部との意見の食い違いは大きくなります。

首相になってわずか半年後の1932年5月15日に、首相官邸内で銃弾に倒れ、息を引き取りました。

 

スポンサーリンク

死ぬ前の「話せばわかる」とは?暗殺だった?

養毅の最期について。

名シーンなので、ちょっと紹介してみます。

 

犬養毅は、1932年5月15日に海軍将校によって暗殺されました。

首相暗殺という衝撃的な事件の背景には、第1次世界大戦終結を迎え平和ムード高まる中での政府の軍事予算削減や軍事力批判、そして世界恐慌による不景気がありました。

そしてそこに軍国主義によって日本を豊かにするしようとする海軍兵士の思いもありました。

 

事件当日に首相官邸を襲った海軍兵士は、銃を犬養へ向けました。

銃を向けられている中で、冷静に「話せばわかる」と言い、犬養自ら海軍兵士を応接室に案内しました。

今後の日本や政治のあり方を、武力ではなく話し合いで解決しようとしていたのです。

しかし、後から襲ってきた兵士らに腹部と頭部を撃たれ逃げ去られてしまいます。

それでもなお、近くに居た女中に「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせるから」と言い、最後まで話し合いによる解決を望みました。

 

その後、容体が悪化し帰らぬ人となりました。

そして、日本は軍国主義の道を進むことになりました。

 

まとめ

ということで、
犬養毅を5分で!死ぬ前の「話せばわかる」とは?暗殺された?でした。

 

犬養毅をかんたんに語るポイントは、

・実は苦学生だった

・慶應義塾出身者で初の首相になった

・普通選挙制度の実現させ日本を民主化へ導いた

・軍部の暴走に立ち向い、武力ではなく話し合いでの解決を望んだ

・五・一五事件で凶弾に倒れた

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

スポンサーリンク

この記事を読んだ方は、こちらもみています。

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ