江戸時代

5分で伊能忠敬について!日本地図の測量方法は?比較画像!

伊能忠敬(いのうただたか)といえば、日本地図をつくった人ですよね。

日本地図の測量を始めたのは、なんと55歳からだというから驚きです。

今回、伊能忠敬のかんたんな経歴日本地図の測量方法地図の比較画像など紹介していきますよ。

 

伊能忠敬、プロフィール

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伊能忠敬(いのう ただたか)
出生地 上総国(千葉県)
生誕 1745年2月11日
死没 1818年5月17日
享年 73歳
時代 江戸時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

能忠敬は、上総国(現在の千葉県)で生まれ、酒造家の伊能家のミチと結婚し商人として生活していました。

1794年に隠居をして暦学の本を取り寄せ勉強をしたり天体観測を行ったりしていた伊能忠敬は、関西方面に旅をしたことをきっかけに測量にのめり込んでいきました。

 

50歳の時に19歳年下の天文学者高橋至時に弟子入りし、暦学・天体観測・測量などの知識と技術を学びました。

それからは、蝦夷地・伊豆などの東日本、東海地方や北陸地方の測量を陸路で「徒歩」行い、師匠の高橋至時も「こんなに出来るとは思わなかった」というほどの地図を作成していきました。

 

橋至時が亡くなってからは、近畿・中国・四国地方にも測量に出かけ(この時忠敬60歳!)亡くなるまで日本地図作成や新しい投影法について研究しました。

伊能忠敬の性格は、厳格で根気強く几帳面という測量に適した性格でした。

もともと酒造家という商売人なので倹約家で「卵は安いところで大量に買う」という現代の主婦のような面も持ち合わせていました。

 




地図の比較画像!

能忠敬といえば、日本地図ですね。

その完成度はとても素晴らしく、現在のものとほとんど変わらないのです。

 

地図を現代のものと画像で比較してみてみましょう。

まず、これが伊能忠敬の地図

1821年・伊能忠敬の地図

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で、これが現代の地図と重ねてみたもの。

黄色が伊能忠敬の地図。緑が現代の地図。

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おんなじ。(・∀・)

ほとんど同じですよね。凄すぎます。

 

ころで、一番最初に日本地図を書いたのが、あの仏教僧の行基だと言われています。

それがこれ。

奈良時代に行基が書いたらしいと言われる地図・「行基図」

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伊能忠敬の約1000年前につくったものですね。

1000年前でこれならかなり凄いですよね。

「日本中を歩いて地図を作れ」といわれても、本当に難しいでしょう。この地図でも凄いことです。

 

能忠敬が作成した地図は、シーボルトというドイツの学者が「世界地図と交換しない?」というくらい正確なものでした。

シーボルトといえば、医師であり学者であり、あの「銀河鉄道999」のメーテルのモデルになった女性の先祖でもあります。

こちらの記事でシーボルトについて、かんたんにわかり易く紹介しています。

>>>シーボルトを5分で!楠本イネとの子孫がメーテルのモデルに?

 




日本地図の測量方法は?

の日本地図の測量方法はどんなかんじなのでしょう。

伊能忠敬の測量方法は、「道線法」と呼ばれています。

 

まず測量する地形に沿って測点を決めます。

測点に杭を打ち梵天と呼ばれるポールのような目印を立て、鉄鎖や間縄を使用し測点と測点の間を測りました。

杖先磁石という今でいう方位磁石のようなもので角度を測り、方位と距離を測りながら前に進み測量していきました。

 

まあ、言葉で言われてもよくわからないですね。(・∀・)

こちらの他サイト様で測量方法をわかりやすく絵で紹介しています。

http://www.minc.ne.jp/daifuku/inou/inou06.htm

 

それでも、ちょっとむずかしいですね。簡単にいうと、歩いて測ったということです。

考えるだけでとてつもなく大変な作業ですね。

 

日本地図を作った男と言われる伊能忠敬が、日本地図の測量を始めたのは、なんと55歳からです。

「願望を一時も忘れずに心がけていれば、必ず成し遂げられる」という名言があるくらいたくましい精神力の持ち主で73歳に亡くなるまで日本地図を作成していました。

かっこいいですよね。(・∀・)

 

 

まとめ

「地球の大きさはどのくらいなのだろう?」という好奇心で測量を始め、17年、通算4万キロの道のりを歩いたなんて、今の車や電車に頼りっぱなしの私たちは脱帽です。

測量期間中にお酒を飲んだり地元の人々に無礼を働いたりしていた隊員には、破門したり(息子も破門!)謹慎処分をしたりと自分にも周りにも厳しい人でした。

伊能忠敬には、人間何をやるにも遅すぎることはないのだということを教えられます。

伊能忠敬は、「中高年の星」「人生を二度行きた男」とも呼ばれ、現代では、定年退職者の方からも関心が高まっています。

私たちも伊能忠敬を見習い、年齢を理由とせずにどんどん新しいことに挑戦していきたいですね。

 

ということで、
5分で伊能忠敬について!日本地図の測量方法は?比較画像!でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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りょーま(管理人)
れきし上の人物.comの運営者。「かんたんにわかり易く」をモットーに、歴史が苦手な人向けに、記事を作成しています。難しい話は省いて、通説を元に書いていることをご理解の上、気軽に読んでください。m(__)m
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POSTED COMMENT

  1. 竹中良行 より:

    中学校理科で「地球の大きさを測る」を取り上げたとき,エラトステネスとともに伊能忠敬の業績を話していました。「もっと詳しく教えたい」と伊能忠敬記念館も訪ねました。
    先日,お寺の集まりで「地球の大きさを測る」の話をしました。おかげさまで好評で,住職からこの話を冊子にまとめ檀家に配りたいという話がありました。
    この冊子に,貴ホームページにあります「今の地図と伊能忠敬の地図の比較図」を載せたいのですがお許しいただけますか。よいお返事をいただけますようお願いします。

  2. hfhrっっちゅうh より:

    良い記事ありがとうございます。

  3. 匿名 より:

    「1732年・行基の地図 伊能忠敬の約90年前につくったものですね。」の記述ですが、行基の生没は668年~749年なので誤りだと思われます。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA

    • りょーま(管理人) より:

      失礼いたしました!

      ご指摘ありがとうございます。
      修正していきます。

  4. inou tadataka より:

    面白い記事ありがとうございます。 四万キロって凄いですよね! 日本の海岸沿いを歩くだけで地球一周ですよ!しかも、道具を使って図りながら四万キロは到底50歳では無理です。確か彼は若くして数学(そろばん)にも目覚めたそうですよ!もっと彼について詳しく載せてくれませんか?

    • りょーま(管理人) より:

      ありがとうございます^^

      確かに地球一周の距離を測量しながら歩くってもの凄いことです!
      必ず達成させるという気合と責任と執念が強くなければ到底できないはずですね。

      伊能忠敬について記事を増やすことも検討しておきます!

  5. 匿名 より:

    いのうただたかがつかったどうぐをくわしくかいてほしい

  6. ryusuke hasegawa より:

    面白い記事ありがとうございます。

    伊能忠敬は日本が島国とわかっていて日本地図を作ることにしたのか気になります。

  7. takafumi hiraga より:

    伊能忠敬のこと雑誌で読み、自分もできるところから挑戦しようと測量士の資格を受けました 合否はまだわからないですがやって良かったです また違うことにもチャレンジして楽しみたいです
    自分53歳  富岡八幡宮の伊能忠敬像に敬礼(笑)

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