橋本左内を5分で!西郷どんとの関係や天才といわれる理由?

スポンサーリンク

橋本左内(はしもとさない)といえば、彼なしには明治維新はなかったと言われ、天才と呼ばれている凄い人です。

あの西郷どんも福沢諭吉もみんな、橋本左内のことをとても尊敬していました。

今回、橋本左内のかんたんな経歴天才の人物エピソードについて、紹介していきますよ。

 

橋本左内、プロフィール

橋本左内(はしもとさない)
出身地:越前国(現在の福井県)
生誕:1834年4月19日
死没:1859年11月1日
享年:25歳

江戸時代後期

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

本左内は、越前(現在の福井県)で生まれました。

親は医者だったこともあり、賢い少年でした。

7歳のときから、すでに勉強に熱心に取り組んでいました。

食事のときも本を離さない生活で、子供のときから大人になっても文武両道の道を生きました。

 

当時の橋本左内は、自分を全面に出すような性格ではありませんでした。

友人が勉強会で、身を乗り出して議論を白熱させていても、彼はいつも落ち着いて座っていて、話をよく聞いているような人でした。

いつも冷静沈着で、かといって内気で弱いというわけではなく、いつも凛々しく目に輝きを持つ人であったと言われています。

 

5歳のときに、彼が書いためっちゃ有名な文書「啓発録」を執筆しました。

その内容はかんたんに言うと、

1,早くに幼稚な心を捨てる
2,気を使う
3,志をたてる
4,勉強に励む
5,友人をえらぶ

といった、自己啓発の内容でした。(啓発録」については下でもうちょっと詳しく書いてます)

 

6歳、神童として有名だった彼は、あの緒方洪庵に弟子入りします。

このときから才能は開花し、緒方洪庵の弟子としていろいろ勉強していました。

医学だけではなく、国の問題などにも強く興味をもちだしました。

 

18歳、父が倒れてしまいました。

家業の医師を継ぐため、越前(福井県)に帰りました。

しかし、もうこのときから実家で医者をやりながらも、志士(しし・国のために尽くす人)になりたくてしょうがありませんでした。

 

9歳、1853年に浦賀(神奈川県)にペリーが来航しました。

これは日本がヤバイ!と思った橋本左内は、居ても立ってもいられなくなり、江戸に飛び出していきました。

 

実際にペリー艦隊をみた橋本左内は、「これはまとも戦っても勝てない」と悟ります。

このままペリーを突っぱねていては日本が潰されると思ったのでした。

橋本左内は、当時鎖国していた日本を、開国させようと力を尽くしました。

 

橋本左内は江戸でさらに勉学に励みました。

今度は、英語やドイツ語などの語学も勉強しました。

そしてついに、優秀さが認められ、松平春嶽(まつだいらしゅんがく)によって、志士にしてもらいました。

 

本左内は21歳のとき、「これからの日本の重要人物がいる」として、西郷隆盛に会いに行けと言われました。

楽しみに行ってみると、西郷どんは相撲をとっていて訪ねてきた橋本左内に気が付かなったそうです。

 

やっと橋本左内に気がつくと、「これはご無礼致し申した」と招き入れます。

しかし、左内は「国がこんな状態なのに、遊んでいて気が付かないとは、危機感が足りないのではないですが?」と皮肉ります。

西郷どんはムッとするものの、話をしているうちに左内に感服しました。

国内事情や海外事情の話をする左内に「こいつはすごい奴だ」と感心し、激しく尊敬したのです。

しかし、左内のほうは西郷どんのことを、ただの血気盛んなジャイアンにしか思えず、「こいつ大丈夫かよ」とがっかりしたのだそうです。

 

その後は西郷どんと付き合うことが多くなると、左内も西郷どんを尊敬しだします。

西郷どんはとても誠実でとても勇気がある男ですから、当然ですね。

 

して、日米修好通商条約の問題と、14代将軍を誰にするかという問題が同時にありました。

そこで橋本左内らは、日米修好通商条約は、天皇が了承していないから保留にしろといい、将軍は一橋慶喜(後の徳川慶喜)と言い、遊説して回りました。

 

しかし、井伊直弼の登場で話は大きく動きます。

大老になった井伊直弼の独断で、将軍は徳川慶福(とくがわよしとみ)に。

日米修好通商条約は勝手に成立させる、ということになります。

それに反発した、左内の師匠である松平春嶽は、謹慎を言い渡されます。

権力のあった師匠・松平春嶽を失った左内は、ただのふつーの一藩士となり、対立した井伊直弼に睨まれることになります。

 

そして井伊直弼の「安政の大獄」のによって処罰されることになります。

「安政の大獄って開国に反対した人を処罰するんだよね?左内は開国賛成派でしょ?」って思いますが、

あれは、開国に反対した人を処罰したものだと言われることがありますが、井伊直弼に反対した人を処罰するためのものだったのでした。

だから、鎖国派のみんなと一緒にまとめて、左内も処罰されてしまったのです。

 

左内は最後まで「私は国のために尽くしただけである」言い、ブレませんでした。

橋本左内は、25歳という若さで斬首刑で亡くなりました。

 

スポンサーリンク

啓発録ってどんなもの?

「啓発録」は橋本左内が15歳のときに書いた文書です。

内容としてはこんな感じ。

1,幼稚な心を捨てる

親に甘えた子供じみた心を捨て、文武に励んで才能を磨き、独立して生きていくために努力すること

 

2,気を奮う

努力しないで人に負けるのは恥ずかしい。

負けたら本気で悔しがり、次は勝とうと懸命に努力して自分を磨く。

決して人には負けまいと努力すること

 

3,志を立てる

志とは、どのように生きるかの方向性を定めることだ。

方向性を定めるには、古来より素晴らしいと言われる書物を無心に読んで、その中で心に残った言葉を抜き出して壁に貼り、いつもそれを眺めて、自分の足らぬことを反省して精進する。

そして自分が少しずつ前進することを楽しみとすることだ。

 

4,学に勉む

勉学とは優れた人物の立派な行いに習い、自らもそれを実行し力を出し尽くして目的を達成するまで継続することだ。

それには書物を読んで、知識を吸収するのみではなく、忠孝の精神を養うことと、文武の道を修業することが大事である。

 

5,友を択ぶ

交友とは自分が交際する友人のことである。

友人には益友と損友があるから、その違いを慎重に見極めるべきだ。

そして、益友とは積極的に付き合い大事にし、損友がいたら、その善くない部分を修正し、善い道に導いてやることだ。

 

これが15歳の自己啓発なのですから、凄いですよね。

一見、堂々と偉そうに語っているかのようにも思えますが、実は全然そんなことなかったようです。

むしろ逆で、この啓発録を書いているときは、人生に悩んでいる15歳の自分を、奮い立たせようとして、どちらかというとネガティブな感情で書いたものなのだといいます。

 

左内は、これを書き終えるともうこの文書のことは忘れていたそうで、大人になって見つけたときに、「ああこれはいい文書だな」ってことで、改めて見返したそうです。

 

スポンサーリンク

天才の人物エピソード?

才といわれる橋本左内ですが、どんなエピソードがあるのでしょうか。

ちょっと集めてみましたよ。

 

傷を負った人に火傷させる

少年時代、左内と同じ塾生が、小刀で指を切ってしまいました。

そいつが「おい!お前は医者の子だろ!傷を治してみせろ!」と言いました。

すると左内は焼け火箸を持ってきて、その傷の部分を焼こうとしました。

 

当然そいつは、「なにをする!怪我の上に火傷をさせる気か!」と怒ります。

すると左内は真顔で、「切り傷の治療法は知らないが、火傷の治療法は知っている」と、ふつーに言ったのだそう。

ちょっと恐いですね。(・∀・)

 

女遊びに夢中?

青年時代、塾で学んでいた左内。

ある時期、左内は夜な夜なこっそり姿をくらますようになりました。

それに勘づいた当時塾頭の福沢諭吉は、

「お?あいつも女遊びに夢中になったりするんだなー、神童といえどふつーの男でもあるもんだ」

と、思い込んでいました。

 

ある時、左内が夜に姿をくらますときに、諭吉はおもしろがって尾行してみました。

しかし色町に繰り出すかと思ったら、左内は橋の下の貧困が人々のところに行きました。

なんと、そこでお金がなくて医者に診てもらえない人たちの診療をしていたのです。

これには、諭吉先生も驚き、ゲスな邪推をした自分を恥じ、こいつは本当に大したやつだと感心しました。

 

モノマネが好き

冷静沈着だったという左内ですが、実はモノマネが得意だったそうです。

まず小さいときは、猫のモノマネが得意でよく「ニャーニャー」言っていたそうです。

 

そして大人になってからは、西郷隆盛や中根雪江の口真似をしていたそうです。

人と話すとき、西郷は「えーえー」と返事をする。

中根は「うーうー」と返事をするそうで、その真似をしては周りを笑わせていたそうです。

冷静沈着でありながら、ユーモアもあったのですね。

 

まとめ

ということで、
橋本左内を5分で!西郷どんとの関係や天才といわれる理由?でした。

 

・橋本左内なくして、明治維新はなかったとまで言われる偉人!

・いろいろな偉人からめっちゃ尊敬されていた!

・火傷の件といい、ちょっとサイコパスっぽい?(・∀・)

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

スポンサーリンク

この記事を読んだ方は、こちらもみています。

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ