奈良時代

5分で行基について!人物エピソードは?東大寺の大仏をつくった?

行基(ぎょうき)といえば、東大寺の大仏ですね。あの大仏を造ったのが仏教の布教を行っていた行基です。

行基は、人望があり布教だけではなく慈善事業も行っていたので奈良時代重い税に苦しんでいた民から崇拝されていた人物だったのです。

今回、行基のかんたんな経歴どうして東大寺の大仏をつくったのか人物エピソードを紹介していきますよ。

 

行基、プロフィール

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行基(ぎょうき)
出生地 河内国(大阪府)
生誕 668年
死没 749年2月23日
享年 81歳
時代 奈良時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

15歳で出家した行基は、布教と共に貧しい人々を助けるため治水工事や橋を架けるなどの社会事業も行っていました。

しかし、朝廷から民衆を惑わす私度僧(国から認められていない僧侶)だと弾圧を受けました。

この時代の僧侶は重い税の負担を免除されており、行基を僧侶として認めれば行基が引き連れている多くの弟子も僧侶として認めなければならず、国の収入が減ってしまうことを朝廷が恐れたためです。

 

の弾圧を乗り越えた行基は朝廷に僧侶として認められ、朝廷の大仏建立に協力するようになります。

745年に日本で最初の仏教界における最高位である「大僧正」を朝廷から送られます。

その後、灌漑(かんがい)といって、農地に外部から人工的に水を供給する事業を始め東大寺の大仏建立を81歳で亡くなるまで関わっていました。

 




なぜ東大寺の大仏をつくった?

大寺の大仏はなぜつくられたのか。

743年、当時は伝染病が大流行し、多くの人びとが病に倒れてしまいます。

さらに天候不順による飢饉(食糧不足)や地震災害も重なり、国内はこのとき、史上最悪の状況となっていました。

そこで、聖武天皇が、「皆が幸せになるために毎日3回大仏を拝み感謝の気持ちを忘れないでほしい」という願いを込めて大仏造立を決意します。

大仏にお祈りすることで、災いを倒そうとするなんて、時代を感じますね。

 

かし、人手が足りず、大仏造立が全く進まなかったのです。

そこで人望がたくさんあった(人手をたくさんもっている)行基に大仏造立を要請したのです。

この頃行基は、僧尼令によって自身の布教活動や慈善事業を弾圧されていたのですが、聖人の心を持っている行基はこの大仏造立の要請を受けたのです。

 

東大寺の大仏が完成するまでに9年の歳月がかかり752年に完成しましたが、行基が亡くなったのは749年。そうなのです。

行基は東大寺の大仏の完成を見る前に亡くなってしまったのです。

 

行基は、聖武天皇に頼まれて大仏をつくったのですね。

こちらの記事で、聖武天皇について、わかり易く紹介しています。
>>>聖武天皇を5分で!大仏を作った理由って?どんな法律でどんな政治だった?




不思議な人物エピソードは?

基のちょっとした都市伝説級のエピソードがあります。

あるとき行基が温泉に入っていた病人に「体の腫れの膿を吸い出してほしい」と言われ、言われたと通りにしたところ、爛れ蛆まで湧いていた病人の身体が崩れ金色に輝く仏様が現れました。

驚いていた行基に仏様は「貴方の慈悲深さに感動しました。私はこの温泉の行者です。この温泉を民衆に開放し多くの病気の人を救ってあげなさい」と言ったそうです。

言われた通り行基は、温泉を民衆に開放し、多くの病気の人を救ったと言われています。

まあ、不思議な話ですよね。

 

 

まとめ

朝廷から不当な弾圧をされても布教をし、橋を架けたり田畑を開発したりするなどの慈善事業を行った行基。

「行基菩薩」と言われ文殊菩薩の化身とも言われていた行基。

朝廷に僧侶として認められてからは、大仏造立を行い、彼が主導で建てた東大寺の大仏は今でも私たちに圧倒的な存在を見せていますね。

 

ということで、
5分で行基について!人物エピソードは?東大寺の大仏をつくった?でした。

 

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