室町時代

フランシスコ・ザビエルを5分で!日本に伝えたものや頭はハゲ?何人?

フランシスコ・ザビエルといえば、キリスト教ですよね。

今回、フランシスコ・ザビエルのかんたんな経歴キリスト教を日本に伝えたことについてや、頭のハゲのことなに人なのかを紹介していきますよ。

 

フランシスコ・ザビエル、プロフィール

FranciscoXavier

フランシスコ・ザビエル
出身地:スペイン
生誕:1506年4月7日
死没:1552年12月3日
享年:47歳(病死)
時代:室町時代(戦国時代)

 

日本に伝えたものって?何した人?どんな人?

フランシスコ・ザビエルは、日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師です。

ここでは、ザビエルのかんたんな経歴を紹介していきます。

 

かんたんな経歴

ランシスコ・ザビエルは、スペインの宣教師です。

宣教師とは、キリスト教を世界に広めるために、外国へ行く人のことです。

 

ザビエルが青年だったころ、ヨーロッパではカトリック(古くからあるキリスト教のひとつ)の勢いが弱まっていました。

ザビエルは、カトリックを改革して海外に広めようと考えます。

そのために「イエズス会」を設立し、インドに向かいました。

イエズス会とは、キリスト教カトリックの修道士(神のために自分のすべてをささげる人)のための団体です。ザビエルがつくりました。

 

の途中、ザビエルは日本人に出会いました。

そのとき「キリスト教を日本に広めよう」と決意します。

 

1549年、ついに鹿児島に上陸しました。

そして島津貴久、大内義隆、大友宗麟らの大名と会い、日本に初めてキリスト教を伝えたのです。

しかし、ザビエルは「日本より、まず先に中国で教えを広めるべきだ」と考えました。

当時の日本文化は、中国の影響を強くうけていたため、「先に中国で」ということです。

 

2年後にインドへもどり、中国に渡ります。

しかし、キリスト教を広める前に、中国で病にたおれ、亡くなりました。

 




城主の子だった?

ビエルは、スペインの「ザビエル城」の城主の子でした。

父がスペイン北部にあった小さな王国の家臣だったのです。

ザビエルは城主の子として育ち、パリ大学で哲学を学びます。

そのとき、宣教師をめざすことにしたのです。

 

 

肖像画の頭はハゲ?帽子?

ビエルの頭、頭頂部について。

あの頭はハゲなのか、ハゲっぽくみえる帽子なのか。

気になっちゃいますね。(・∀・)

 

実は、あれトンスーラという髪型で真ん中を剃っているのだそうです。

つまり、ザビエルのてっぺんは生やそうと思えば生えるのです。

 

で、さらに、実際のザビエルは、トンスーラではなくふつうに全体的に髪があったとのこと。

アフリカとスペインを繋ぐジブラルタル海峡などに、彼の碑や銅像が数体あるのですが、すべて生えています。

ザビエルの、あの肖像画は創作でトンスーラにされたのです。

 

なぜ、そんな嘘っぱちの肖像画が出来てしまったのか。

これは、まあ、「キリスト教の宣教師なら、この髪型でしょ?」という安易な想像からできあがった感じです。

ザビエルの頭はハゲじゃなかった。

衝撃的です。(・∀・)

 




なに人?

ビエルはなに人なのか。

正確には彼は、ナバラ人です。

ナバラは、のちにスペインに吸収される王国です。

まあ、友人に「ザビエルってなに人だっけ?」と聞かれることがあったら、「たしかスペイン人だよね」とかえしちゃえばいいでしょう。

 

 

まとめ

フランシスコ・ザビエルを5分で!日本に伝えたものや頭はハゲ?何人?でした。

フランシスコ・ザビエルについて、かんたんに語るポイントは、

・日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師

・頭はハゲじゃなかった!

・スペイン人だった!

 

もう少しザビエルについて書いた記事がこちらになります。

日本を愛したフランシスコ・ザビエル

 

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りょーま(管理人)
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