マッカーサーを5分で!昭和天皇との超かっこいいエピソード

マッカーサーといえば、アメリカの軍人ですね。

サングラスとパイプ姿で厚木飛行場に降り立ち、戦後の日本を民主国家へと導いてくれたスーパーヒーローです。

今回、マッカーサーのかんたんな経歴昭和天皇との超かっこいいエピソードについて、紹介していきますよ。

 

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マッカーサー、プロフィール

名前:ダグラス・マッカーサー(だぐらす・まっかーさー)
出身地: アメリカ合衆国 アーカンソー州 リトルロック
生誕:1880年1月26日
死没:1964年4月5日
享年:84歳(腎不全)
時代:明治時代-大正時代-昭和時代

 

かんたんな経歴、何した人?どんな人?

ッカーサーは、軍人の父・アーサー・マッカーサー・ジュニアと、母・メアリー・ピンクニー・ハーディの3男として、アーカンソー州リトルロックに生まれました。

マッカーサー家の先祖は、スコットランドのブルジョア貴族で、アメリカ第32代大統領のルーズベルトや、イギリスの軍人で政治家のチャーチルと遠い親戚です。

 

8歳、父の影響を受けてアメリカ陸軍士官学校に、トップの成績で入学します。

在学中の成績も優秀でスポーツも積極的に取り組み、特に野球での頭脳プレーを得意としました。

この頃の士官学校は、陰湿なイジメが多くマッカーサーもターゲットにされましたが、最後までイジメた人物の存在を明かさなかった事から、多くの生徒から厚い信頼を得ました。

 

1903年、23歳で、アメリカ陸軍の中でもエリート集団と呼ばれる工兵隊に所属し、フィリピンや日本に赴きました。

この時に日露戦争でのヒーロー、東郷平八郎(とうごうへいはちろう)らと会談しています。

 

1906年にはアメリカに戻り、第26代大統領・セオドア・ルーズベルトのオファーを受けて、大統領軍事顧問の補佐官になりました。

その仕事ぶりは高く評価され、その後も順調にエリートコースを進みました。

 

4歳ころ、1914年に第一次世界大戦が始まると、連合国として参戦します。

ドイツ軍からの毒ガス攻撃を受けるなど、何度も命の危険に遭いながらも大活躍し、その功績は国内外から認められ、15個の勲章を受けました。

第一次世界大戦後は、母校である陸軍士官学校の校長になります。

団結力を高めるために取り組むスポーツを増やしたり、自身も苦しんだイジメを徹底的に無くすなど、新しい現代的な軍人育成にエネルギーを注ぎました。

 

0歳でアメリカ陸軍最年少の参謀総長というポジションをゲットし、再びフィリピンへと赴きました。

しかしアメリカはこの頃、1929年の株価大暴落により世界恐慌への道を突き進んでいたのです。

これによりアメリカ政府は軍事に掛かる全ての経費を削減しようとしてきましたが、必死に陸軍を守りました。

第2次世界大戦が始まると米陸軍極東方面司令官となり、日本軍に苦戦を強いられる事もありましたが、最終的に連合国を勝利に導きました。

 

1945年8月に連合国総司令部(GHQ)最高司令官として、神奈川県の厚木飛行場に降り立ちました。

敗戦後もまだ存在していた日本軍の武装解除からスタートし、A級戦犯の逮捕や裁判、そして昭和天皇との会談を得て、戦後の日本を民主化へと導いてくれました。

新たに日本国憲法が公布され、教育や経済そして男女同権などより近代化され、日本は大きく変貌を遂げていきました。

奇跡とも言われた日本の戦後復興について、日本人の真面目さや勤勉さが語られますが、その影にはマッカーサーがいました。

1964年、84歳で腎不全により亡くなりました。

 

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昭和天皇とのエピソードで新日になった?

ッカーサーの昭和天皇とのエピソードについて。

かっこいいので、ちょっと紹介してみます。

 

争で多くの物を失った敗戦国日本にやって来たのが、連合国総司令部(GHQ)最高司令官のマッカーサー元帥でした。

専用機パターン号からサングラスとハイプ姿で厚木飛行場に降り立ちました。

マッカーサー元帥の、一番の目的は昭和天皇との会談でした。

戦争責任のため、昭和天皇を処刑する考えを持っていたのです。

 

そして対談のとき。

マッカーサーは昭和天皇が現れても、ソファーに浅く座り、ふんぞり返り、パイプをくわえたまま足を組んで、完全に昭和天皇を見下した態度をとっていました。

マッカーサーは以前、軍人の父の付き添いで居合わせたときの、他の国のトップの命乞いを思い出していました。

「戦争は勝手に国民が始めたこと。私には一切の責任がない。私の命だけは助けて。」

といったものです。

 

マッカーサーは昭和天皇も当然このように命乞いすると思い込んでいました。

しかし、昭和天皇はマッカーサーの前で命乞いなどせずに、

「戦争に関する全ての責任は私にある。

国民には一人の戦犯はおりません。

自分は死刑はもちろん、どんな裁きでも受ける。

しかし、これからの日本国民を気にかけてやってほしい。」

とのように言いました。

 

これには、マッカーサー元帥も心底驚いたといいます。

国のトップが、国民のために命を差し出すことなんて、歴史上ほとんどなかったからです。

 

マッカーサーは、パイプを置いて立ち上がり、直立不動の姿勢をとりました。

それからは昭和天皇に尊敬を込めて接しました。

わさわざ予定を変えて、自ら昭和天皇を玄関まで送ったりもしました。

これは最大の敬意の表れです。

 

マッカーサーはこの時の感動を、

「私は大きい感動にゆすぶられた。

この勇気に満ちた態度に、私の骨の髄までもゆり動かされた。

私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、個人の資格においても日本における最高の紳士である、と思った」

と、記しています。

 

後に、マッカーサーとの会談について、昭和天皇は表面だけしか伝えませんでした。

いわく、

「マッカーサー司令官と、はっきり、これはどこにも言わないと約束を交わしたことですから。

男子の一言の如きは、守らなければならない」

と、一生涯話すことはありませんでした。

 

二人は本当に尊敬しあっていたことがわかります。

これからは、マッカーサーは完全に親日になったのでした。

 

まとめ

ということで、
マッカーサーを5分で!昭和天皇との超かっこいいエピソードでした。

 

マッカーサーをかんたんに語るポイントは、

・サングラスとパイプ姿がトレードマーク

・連合国総司令部(GHQ)最高司令官として活躍したエリート軍人

・日本を軍国主義から民主主義へと導き戦後復興させたスーパーヒーロー

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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