安土桃山時代

伊達政宗を5分で!あの兜が月の意味や真田幸村との関係は?

伊達政宗(だてまさむね)といえば、独眼竜で有名ですね。

今回、伊達政宗のかんたんな経歴、あの兜の月の飾りの意味や、真田幸村との関係について紹介していきますよ。

 

伊達政宗、プロフィール

 

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伊達政宗(だてまさむね)
出身地:出羽(山形県)
生誕:1567年8月3日
死没:1636年5月24日
享年:70歳(病死)
時代:室町時代(戦国時代)-安土桃山時代

 

何した人?どんな人?

伊達政宗は、天下統一を目指し、東北を支配していた戦国大名です。

「独眼竜」として有名な政宗は、その後、秀吉に降伏することを決意しました。

ここでは、伊達政宗のかんたんな経歴を紹介していきます。

 

かんたんな経歴

は出羽(山形県)の戦国大名・伊達輝宗(だててるむね)で、政宗は長男として生まれました。

政宗は小さい時に、幼いとき天然痘(てんねんとう)という伝染病にかかり、右目の視力を失ってしまいます。

それを不吉に思った母は、政宗を可愛がることはしませんでした。

しかし、父にはその才能を期待されていました。

 

宗は18歳で伊達家を継ぎます。

その後、近場の戦国大名たちに、次々と戦いをいどみ、勝ちまくり、グングン出世します。

24歳の時には、奥州66郡のうち3分の1を支配し、100万石の大名となりました。

 

1590年、天下統一を目指す豊臣秀吉は、小田原(神奈川県)の北条氏を攻めたとき、政宗に家臣になるように求めてきました。

政宗はぎりぎりまで迷いますが、秀吉に従います。

しかし、ほんとにギリギリまで迷っていたため、予定よりも遅れて小田原に着いたのです。

 

「遅すぎる」と激怒寸前の秀吉。

そこで政宗は、「死ぬ覚悟」であることを示すため、白装束(切腹するときに着る白い服)を着て秀吉に会いました。

それをみた秀吉は、堂々とした政宗を気に入り、許します。秀吉も度胸のある、男らしい男は好きなのです。

一応、形だけの罰があったようですが、ほとんどノーダメージでした。

 

吉の死んでからは、徳川家康に味方しました。

江戸時代には仙台藩(宮城県)の初代藩主となります。

江戸幕府の3代将軍・徳川家光からの信頼も厚いものでした。

政宗は、家臣の支倉常長(はせくらつねなが)を、メキシコやヨーロッパへ送るなどし、国内だけでなく、世界を舞台にして活躍した戦国大名だったのです。

 




自分から、右目をえぐりだした?

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宗は幼いとき、天然痘(てんねんとう)という伝染病にかかり、右目の視力を失ってしまいました。

病気の右目をずっと気にしていた政宗は、わずか9歳のとき、家臣の片倉小十郎に「おれの右目をくりぬいてくれ」とたのみます。

片倉小十郎は小刀で、政宗の右目をくりぬいたのです。

 

これをきっかけに、内気だった政宗の性格は明るくなり、積極的に活躍。「独眼竜」と名を轟かせるまでになったのです。

片倉小十郎は、政宗の一生の親友となり、死ぬまで信頼し合いました。

 




あの兜の月の形、込められた意味は?

宗のといえば、あの月が印象的ですよね。

これです。

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この月はどういう意味で、どんな由来でこの形なのでしょうか。

これはひとことで言うと「飾り」ですね。

でもただの飾りではなく、三日月は「妙見菩薩」という戦闘の守護者の紋のひとつです。

お守りというか、願かけですね。

 

時の武将たちは、目立って武功をあげることがイケてた時代ですから、兜は目立ってなんぼなのです。

実はあの三日月、実はめっちゃ軽いのです。

金属ではなく、木に金箔を貼っただけのものなのです。

金属製だと、もし馬に乗って木や敵の貼ったロープに引っ掛かると首を傷めるので、折れるようにしてあるのです。

形も、刀を引き抜いたとき邪魔にならないように変えてあります。

一部では、「あの三日月はいざという時、取って投げつけるもの」なんてジョークが飛び交っていますが、信じてはいけませんよ。(・∀・)

 




真田幸村とはライバル?関係は?

達政宗と真田幸村関係について。

これは実はよくわかっていないというか、そんなに2人の深い関わりはないのです。

ただ、大坂の陣で幸村は死にますが、その時幸村の子供をかばったのは伊達家です。

政宗の家臣・片倉小十郎に子供たちが託されました。

真田幸村じたい、詳しい史料が残っていないので、ほとんど謎だらけなのですね。

 

は、政宗とほんとうに仲が悪かったのは、直江兼続だといいます。

水と油よりも仲が悪いと言われ、兼続は身分が上の政宗にしょっちゅう喧嘩を売っていました。

こちらの記事で、直江兼続と伊達政宗の仲の悪いエピソードは紹介しています。

>>>直江兼続を5分で!兜の「愛」の意味、伊達政宗と超仲悪かったエピソード?

 

まとめ

伊達政宗を5分で!あの兜が月の意味や真田幸村との関係は?でした。

 

伊達政宗について、かんたんに語るポイントは、

・東北を支配していたが、秀吉に降伏し、その後は家康に味方した

・右目を家臣の片岡小十郎にくりぬかせた

・兜の三日月は、取って投げつけるものではない!

・直江兼続とめっちゃ仲悪い!

 

最後まで読んでいただきありがとうございます^^

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りょーま(管理人)
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